男と男の“魂の継承”の物語 『僕を育ててくれたテンダー・バー』にみる“男らしさ”の価値観
室内に光るネオンサイン、棚に並んだ酒瓶とグラス、そして、ポーカーやビリヤードに興じる酔客たち……そんな喧騒に包まれたバーのカウンター席に、幼い子どもが一人座っている。後に作家となり、ピューリッツァー賞受賞ジャーナリストとなるJ・R・モーリンガーだ。本作『僕を育ててくれたテンダー・バー』は、バーで“育った”モーリンガー自身の少年期と青年期の自伝を原作とした映画である。
監督としても長いキャリアを持つジョージ・クルーニーが演出に専念し、青年期のJ・R・にタイ・シェリダン、その伯父チャーリーをベン・アフレックに演じさせている本作は、近頃あまり流行らない、男と男の“魂の継承”の物語だ。ここでは、いまこのような、古くさいといえる題材を扱ったジョージ・クルーニーの意図を、本作が示す“男性の一つの在り方”を通して考えていきたい。
主人公J・Rは、生まれてすぐに父親(マックス・マーティーニ)が逃げ出し、経済的な事情によって、ニューヨーク州ロングアイランドの母親の実家で少年時代を過ごすことになる。裕福な家ではなかったが、母以外にも祖父(クリストファー・ロイド)と祖母(ソンドラ・ジェームズ)、伯父のチャーリーに見守られながら、彼は成長していくことになる。
母や伯父たちは父のことを悪く言うが、ニューヨークのラジオDJとして、リスナーに美声で語りかける父親の番組を聴きながら、J・Rは憧れを募らせる。そんな父親が、ごくたまに接触してくることがある。ある日、父親は気まぐれに電話をかけてきて、「今度、野球の試合に行かないか」と、J・Rを喜ばせたが、試合当日、結局彼は連絡もなく約束をすっぽかし、家の前で待っていたJ・R少年は、野球帽をかぶったままで日暮れを迎えるのだった……。そう、父親は皆が言っていたように、やはり最低のクズ男だったのだ。
時代は1970年代。オランダのロックグループ、ゴールデン・イヤリングやパブロ・クルーズのヒットチューン(厳密には、作中の年と曲の発表年が合わないものもあるが)をはじめ、当時脚光を浴びた曲と、父親の声がラジオから鳴り響くなか、少年時代のJ・R(ダニエル・ラニエリ)は、伯父チャーリーがバーテンダーを務める「ザ・ディケンズ・バー」にたびたび遊びに行って、地元の酔客ら大人とともに時を過ごすことが多かった。
このチャーリーもまた曲者。「お前に才能はないから、スポーツをするのはやめろ」と、平気でJ・Rに言い放ち、代わりに本を読めと勧めるのだった。バーの名が「ディケンズ」であり、酒瓶とともに本が積み上げられた棚を見ると、チャーリーは作家に憧れていた過去がありそうだ。そして、「母親を敬え」「車を持って自分で修理しろ」「たとえハサミで刺されたとしても女を殴るな」などなど、彼の思う「アメリカ男の作法」をJ・Rに教え込む。子どもに語りかけるのにふさわしい言葉遣いとは言えないが、そんなチャーリーの無骨さや、子ども扱いせずに正直なものいいをする態度は、J・Rにとって好ましかったようだ。
そんなチャーリーの影響を受けて、J・Rは作家になることが人生の目標となった。作家にまず必要なのは、豊かな語彙力ということで、辞書をまるまる暗記するなど、人並外れた努力をすることなるJ・Rは、チャーリーに言葉の組み替えパズルを出されるとスラスラと答え、バーの客たちを驚かせることもしばしばとなっていった。本作のタイトル「テンダー・バー(優しいバー)」もまた、「バーテンダー」を組み替えた言葉のパズルだ。J・Rは、自分を作家として育ててくれることになった伯父さんのバー、そして、その店のバーテンダーである伯父さんへの感謝を、本作の原作となった自伝というかたちで表しているのだ。
物知りなチャーリーをはじめ、大学出でインテリの祖父や、頭脳明晰だが進学を諦めた母親など、モーリンガー家は優秀な者ぞろいではあるが、皆裕福とはいえない生活を送っている。そうなっている一因には、“見えない階級社会”が背景にある。裕福な層とのつながりがなく、自分たちと同じように金銭的な余裕のない人々と付き合っている家族たちは、豊かな生活へのアクセスが難しい状況にあったわけだ。しかし、そんな一家の苦境や想いを受け継いで成長したJ・R(タイ・シェリダン)は、なんと名門イェール大学に奨学生として合格するというミラクルを達成する。
とはいっても、やはり要領の悪いモーリンガー家の気質なのか、コネがないからなのか、イェール大学を卒業しても、J・Rが目覚ましく金を稼いで一家を立て直すような展開が訪れることにはならない。また、大学で知り合った「上層中流階級の下」という、チャーリーいわく「自称金持ち」の女子に誘われては、からかわれフラれることを繰り返すなど、恋愛でもいいように遊ばれる存在になっていた。学歴は手に入れたが、J・Rの青春や進路の見通しは、いまひとつピリッとしないのだ。