ジョージ・クルーニーらしい個性的なSF映画 『ミッドナイト・スカイ』が描く“過酷な未来の姿”
俳優としても映画監督としても評価され、人道的な活動で社会貢献にも熱心なジョージ・クルーニー。彼が主演と監督を務め、新進の作家リリー・ブルックス=ダルトンによるSF小説『世界の終わりの天文台』を映画化した『ミッドナイト・スカイ』は、異色ながら、いまの社会状況や環境問題を反映したクルーニーらしい個性的なSF映画に仕上がっていた。ここでは、そんな本作が何を描いていたのかを明らかにしていきたい。
クルーニーが演じているのは、環境が激変し人類滅亡が迫るなかで、一人北極圏の端に残った、不治の病に冒されている老科学者・オーガスティンだ。彼は極寒の地の観測施設で刻一刻と終わりへ向かう世界を感じながら、孤独な日々を送っている。そんなある日、彼は誰もいるはずのない施設の中に、幼い一人の少女アイリスが隠れているのを発見する。彼女は、いったい何者なのだろうか……。
一方その頃、惑星探査の任務を終えた宇宙船のクルーたちが地球に帰還しようとしていた。オーガスティンはそのことを知ると、地球は人間が住むことのできない状態であり、帰ってきてはならないと伝えようとする。そして、アイリスとともに施設を出て、より強力な通信設備があると思われる他の施設に向かって危険な移動を開始するのだった。
物語は、オーガスティンの視点と、地球に帰還する宇宙船「アイテル号」クルーの一員であり、船長アデウォレ(デヴィッド・オイェロウォ)の子どもを身ごもっている女性サリー(フェリシティ・ジョーンズ)の視点で、北極圏と宇宙空間を舞台に同時並行的に進んでいく。オーガスティンとアイリスが北極の自然の脅威にさらされるのと同様、アイテル号も生存を脅かされる事故に見舞われることになる。
北極と宇宙。人間にとってそれぞれに過酷な環境が待ち受けている世界だが、その孤独な風景は、静謐で荘厳な雰囲気に包まれている。猛吹雪に襲われたり、宇宙船が破壊されるなど、命が脅かされる瞬間ですら、そこにはある種の美が存在することを、本作は表現する。とくに、宇宙船が絶体絶命の危機に陥る場面は、クルーニーが出演した『ゼロ・グラビティ』(2013年)の、スペースデブリによる事故シーンを想起させる。主人公が過去の出来事について喪失感を抱いているという部分も、『ゼロ・グラビティ』の設定に近い。オーガスティンは、自分が若い頃にしてしまった決断を心の中で悔やんでいるのだ。その想いは、やがて本作で描かれる二つの物語をつなげていく。
それにしても気になるのは、ひたすら悲観的な設定と物語の展開だ。サリーたち宇宙船のクルーは、人類が住むことのできる新たな惑星を探索し、吉報を持って帰還してきた。にもかかわらず、地球の人類は絶滅しかけている。もはや地球を見捨て、クルーたちだけで他の星に移住するしかない状況なのだ。
本作の脚本を担当したマーク・L・スミスは、『レヴェナント:蘇えりし者』(2015年)の脚本でも知られている。彼が原作小説『世界の終わりの天文台』から受け継いだテーマは、アメリカの西部開拓時代を舞台にした『レヴェナント:蘇えりし者』とも関連するところがある。レオナルド・ディカプリオがそこで演じていた入植者の男は、ある出来事によって取り返しのつかない個人的な喪失を経験することになる。それから彼は復讐の旅に出ることになるが、その道の途中で、ヨーロッパから渡ってきた白人たちが先住民たちの住処を奪い、野生のバイソンをはじめとする自然を征服して破壊してきた罪を目の当たりにすることになる。大事なものを理不尽に奪われたのは自分だけではなく、ある人々や自然は、大規模なスケールで喪失を経験しているのだ。