『ミラベルと魔法だらけの家』に抱く、ディズニーへの敬意とテーマ選びの難しさ

「世界一のアニメーションスタジオはどこか?」

 その質問に対して、多くの人がディズニー、もしくはその傘下のピクサーと答えるのではないだろうか。資本力や技術力はずば抜けており、毎年数本のアニメーション映画を発表するたびに、100人いたら80人から90人は満足するであろうクオリティの高さはまさに圧巻の一言だ。

 近年はアメリカ映画界をリードするメッセージの強さでも話題にのぼること多い。だが、その企業規模が大きくなり、世界中で注目を集めるほどに、物語制作が難しくなっていく側面も見えてくる。今回は『ミラベルと魔法だらけの家』から見えてきた、高い目標とその弊害について考えていきたい。

 まず述べておかねばならないのは、近年のディズニーが成し遂げているメッセージに対して、敬意を示すという点だ。その時代、国によって望まれる表現というものは違う。例えばディズニーはかつて太平洋戦争中に戦争中の相手国である日本を貶めるような表現を行っていたことは有名だが、それはその時代に求められた表現でもある。表現には時代の政治状況を反映せざるを得ない一面もあり、それは子供向けアニメーションであろうが同じだろう。

 近年のディズニーはかつて表現してきたものが、現代の価値観にそぐわないと真摯に認め、その描き方に注意書きを加えたり、あるいは更新するような描き方がなされている。恋愛にとらわれないディズニープリンセスの描き方などがまさにそうだろう。それらは時にポリティカルコレクトネスが強すぎるとして批判されることもあるが、歴史のある大きな表現者集団が、時代に即した表現を模索していく姿には敬意を示したい。

 だが、その道は決して平坦ではないことも指摘しなければならない。例えば、日本アニメのように基本的には国内向けに制作されていく作品の場合は、基本となる理念や道徳は一定の定型があると考えていい。資本主義社会で自由恋愛を好み、同性愛にも現実には議論はありつつも、アニメ産業はBLや百合などもあり、基本的には寛容だ。そういった同一の価値観を持つ国に対するメッセージ性はある程度作りやすくもある。

 しかし、ディズニーほどの巨大な会社となり、世界中に広く知られてしまった場合には、そのメッセージ性の選択も難しい。中には中国のように資本主義に対して否定的な国もあれば、自由恋愛を規制したり同性愛を厳しく罰する国もある。日本人は欧米社会と価値観が似ているために、それらの規制に対して疑問を抱くが、その疑問は必ずしも世界共通のものではない。もちろん、ディズニーは時にそれが間違っていると指摘する作品も生み出しているのだが、描けるメッセージも限られたものになってしまいかねない。

 そんな中でも『ミラベルと魔法だらけの家』のように「家族を大切にしよう」というメッセージは、万国共通の価値観であり、道徳として優れたものだ。おそらく、この価値観を否定する国や地域はないだろう。近年のディズニー、あるいはピクサーの映画はこのテーマの作品が多く、『アナと雪の女王』や『リメンバー・ミー』なども同じようなメッセージを内包している映画だといえる。その点においては、世界企業の子供向けアニメーション映画として、問題がないようにも見える。

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