一周回って異色作? 『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』の安心感

 人間、開き直ると強くなるものである。『ダイの大冒険』でポップも言っていた。そして『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』(2021年)は完全に開き直った映画であり、「予告の時にCGが間に合いませんでした」と制作側がぶっちゃけるほど手探り感のあった前作から一転、安心感の塊のような作品に仕上がっている。そして80~90年代に洋画の洗礼を受けた人にとって、まさに実家のような居心地を覚えるだろう。

 宇宙生物シンビオートの“ヴェノム”に寄生された記者のエディ・ブロック(トム・ハーディ)。しかし、それはそれとして、元恋人への未練を引きずったり、仕事がパッとしなかったりと、グダグダ気味の生活を送っていた。おまけにヴェノムは良くも悪くも地球の生活に慣れてきて、2人の“共同生活”は口喧嘩ばかり。「人を食わせろ」とヴェノムが怒り、エディは当然「ダメだ! 飼ってる鶏でも食べてろ!」と戒めるが、今度は「あの鶏は俺の親友だ!」と宇宙人らしい倫理観/価値観で反論してくる。そんなデコボコ生活を送る2人のもとへ、連続殺人鬼のクレタス・キャサディ(ウディ・ハレルソン)を取材する仕事が入る。久々の大仕事に気合が入るエディだったが、ひょんなことからキャサディにシンビオートが寄生した。元々が殺人鬼のキャサディは、その性状に合致したような凶悪な怪物“カーネイジ”に変身する能力を得る。しかもキャサディには、生まれつき特殊能力を持つ恋人のフランシス(ナオミ・ハリス)がいた。キャサディとフランシスは極悪超能力カップルとして暴れまわる。一方その頃、エディはヴェノムと遂に大喧嘩になり、家出されてしまうのだった……。

 本作は何はなくともテンポ感が良い。雑と言えば雑だが、個人的には、傑作マンガ『じゃりン子チエ』のどっかのコマの背景に「始業式が終わったのに、どうしてチエちゃんは五年生のままなんですか?」「答え、マンガやから」と書いてあったのを思い出した。本作は「これはマンガである」と開き直っており、細かい部分は割愛して、ほとんど躁状態と言ってもよいほど駆け足で物語が進んでいく。それでいてエディとヴェノムの凸凹な日常は観ていて微笑ましく、悪役のカーネイジことキャサディも清々しいほど悪く、魅力的だ。

 そして開き直っている点は、テンポ最優先の点だけではない。本作は「そのまんまやんか」とツッコミを入れざるを得ないほど『リーサル・ウェポン』(1987年)であり、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(1994年)だ。『リーサル・ウェポン』は平凡な中年刑事と凶暴なヤサグレ刑事の活躍を描いたバディアクションの金字塔であり、『ナチュラル・ボーン・キラーズ』は殺人カップルの暴走を描いたバイオレンス映画である。本作はこの2本が下敷きにある。何せ劇中でヴェノムとエディが自分たちを指して「リーサル」って言ってしまうし、そもそもキャサディを演じているウディ・ハレルソンは『ナチュラル・ボーン・キラーズ』に主演しているのだから。これらの80~90年代に“新作”だった作品をそのまんま引用しているわけで、そりゃあの頃に洋画の洗礼を受けた30代後半の私が、本作に実家のような感覚を覚えるのは当然だろう。

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