『バトル・ロワイアル』公開当時に何が起きたのか 深作欣二晩年の傑作で叶わなかった思惑
三角マークに“荒磯に波”と呼ばれるオープニングロゴでおなじみの「東映」。今年で創立70周年を迎える同社の作品を思い浮かべてみれば、片岡千恵蔵や中村錦之助の時代劇、高倉健や鶴田浩二の任侠映画、そして70年代に一世を風靡した「東映実録路線」など、とにかく硬派な作品のオンパレードである。もちろんその硬派なスタイルを活かして締まりのある文芸映画や娯楽映画もあり、さらにはアニメーションもありと、会社としてのカラーが一本の筋を通してしっかりと存在していることこそが、一時代を築いた所以といえよう。
CSの東映チャンネルでは「東映創立70周年記念 いま観ておきたい 絶対名作30」と銘打って、11月から3カ月間にわたって東映の代表作30本を放送している。12月のラインナップ10作品のうち4作品が、東映実録路線の代名詞たる『仁義なき戦い』シリーズで知られる深作欣二監督の作品というのはうれしい限りだ(ちなみに『仁義なき戦い』第1作は11月に放送されている)。そのなかでも、「いま観ておきたい」という企画の趣旨に最も符合するのは、深作晩年の最高傑作である『バトル・ロワイアル』をおいてほかにないのではなかろうか。
まずはこの『バトル・ロワイアル』(以下、『BR』と略させてもらう)がどのような映画であり、公開当時に何が起きたのかを改めてざっくりと整理していきたい。原作は高見広春という、後にも先にもこの1作のみしか書いていない稀有な作家が発表した長編小説だ。近未来の国家を舞台に、中学3年生のとあるクラスが最後の1人になるまで殺し合いを繰り広げる。原作とコミカライズ版においては、殺し合いにゲーム性を見出すという露悪趣味的な発想と残虐描写が相次ぐわけだが、深作は映画化にあたって、劇中の15歳たちの殺し合いを、自身が15歳の時に経験した戦争と結びつけるのである。
「人が死ぬ映画を真面目にやらなきゃいかんな、と思っていた時にこの原作を読んで、自分の中学三年の時の体験が思い起こされた」と、公開当時発売されたメイキング本『バトル・ロワイアル・インサイダー』(太田出版)に掲載された監督インタビューには記されている。原作で感じた抵抗をもとに、現代の日本へと物語を移し替え、体制に強いられる理不尽な暴力への反骨心をむき出しにする。結果的に出来上がった映画は、アクションでもバイオレンスでもSFでもない、戦争によって奪われる青春の映画になっているのだ。
昨年『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が公開される際に、映倫のレイティングが注目されたことがあった。R-15(現行のR15+)指定となった『BR』は、おそらくレイティングへの関心を高めた数少ない映画の先駆けだった。なにせ劇中の登場人物たちと同じ中学3年生が鑑賞不可になってしまったのだから。しかも公開直前になって「中学生が殺し合いをする」という点が問題視されるようになり、国会で取り上げられる事態に発展して国会議員向けの試写会まで開催される大騒ぎ。90年代は少年による凶悪犯罪が頻発した時代。2000年になり、『BR』公開の数カ月前にも少年犯罪が発生していたわけで、上辺だけすくえば作品の存在そのものが危惧されるというのもこの日本ではありえない話ではない。映画の解釈というものは基本的に個々人の自由ではあるが、少なくとも危惧されたように、劇中で生命を軽んじる描写はひとコマたりとも見受けられないのは、例によって当然のことだ。映倫や当時の大人たちの動きは決して間違っていたとは言い難いが、中学生以下に考える機会を与えようとした深作の思惑が叶わなかったのは残念でならない。
さて若干話は逸れるが、この「中学を卒業しなければ観られない映画がある」ということに大きなショックを受けたのは、当時小学6年生の映画少年だった筆者である。タランティーノの映画を経由して深作作品にハマっていたまさにその頃であり、また出演作をすべて追いかけるほどの大ファンであった前田亜季が出る映画とあって、夏頃に前売り券が発売されるや購入していたのだ。なんとか観られないものかと、公開初日の12月16日に丸の内東映(現在の丸の内TOEI)に行ってみれば、前の歩道は人でごった返し、テレビカメラも押し寄せていた記憶がある。結局尻込みして家に帰ると、夜のニュースでは入り口で追い返される中学生たちの姿が映っていた。