オダギリジョー、池田エライザらが監督業に挑戦 映画を撮る俳優陣の動きから目が離せない
ここに並べたものは、いずれも長編映画だ。海外へと目を向ければ、自身の取り組みたい作品に“プロデューサー”というかたちで関わる者が非常に多いが、アンジェリーナ・ジョリーやショーン・ペン、グレタ・ガーウィグなど、監督として“名匠”となる者も少なくない。しかしやはり、日本と海外では製作システムや環境がまるで異なる。長編映画の監督となると、なかなか踏み切れないでいる者も多いのだろう。そんななかでいま台頭しているのが、俳優による短編映画の監督だ。これは現在の環境も大きく影響しているのだと思う。
コロナ禍によって、多くの仕事がこれまで通りにはいかなくなった。それは俳優業も同じこと。映画の公開が延期になったり、ドラマの放送が一時ストップしたことは誰もが知るところである。そうした際に、“自分たちで場を作る”動きが生まれたとしても、何ら不思議ではないだろう。彼らは普段から「俳優」というポジションで映画に関わっているが、別の角度からの映画への関わり方に興味が出ても当然のことのように思う。俳優の立場から見てきた「映画」というものがどういったものなのか、それは彼らが生み出す作品に間違いなく反映されている。また、“映画を撮る”ということは、いち表現者である彼らの、“演じる”こと以外の自己を表現する手段でもあるのだろう。踊ったり、歌ったりするのにも近いものなのだと思う。いまの環境が続いていくのは苦しいが、この動きはポジティブな気持ちで追いかけていきたい。