『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』を3つの視点から考察 ボンドの運命にみる神話の終焉
さらに、フクナガ監督自身のルーツの一つに日本があるように、本作では悪役サフィンのキャラクターとともに日本的な意匠が施されている。その最も象徴的なアイテムが、前述した能面である。日本の団体芸能の代表格である「能」は、神を主人公としたものや、修羅の地獄に落ちた武者の話、離別した家族を捜す常軌を失った者の話など、物悲しく不気味なテーマを描くことが多い仮面劇だ。そう考えると、本作が「能」の要素を持ち出したのが、ただの異国趣味にとどまらないことが理解できるはずである。
家族を皆殺しにされて復讐を誓ったサフィンが能面を被っていたのは、自分の人間としての感情を捨て去り、“狂気を帯びた一つの役割を演じきる”という決意であるように思われる。そこには救われることのない悲劇的な運命と、一種の滑稽さが作り出す哀れなイメージがつきまとっている。そんなサフィンとボンドとの間に存在するつながりを、二人の対峙シーンで暗示することで、じつはボンドもまた、能面を被ってきた人物であることが分かるのである。そう、ボンドこそ、会うことのない家族を追い求め修羅の地獄の中で生きてきた、哀しい存在なのだ。つまり、一見理解しづらい悪役であるサフィンは、そんなボンドの姿を照らし出すために逆算して生み出された、一種の幽霊のようなものであるといえよう。
そして、本作が最も異常な雰囲気を放つのは、やはりサフィンの秘密基地で展開される戦いだろう。ボンドとノーミが最初に潜入するときは、ジャンル映画ならではの気楽さがまだ漂っているものの、ボンドがミッションを完遂するため、何度もその場所を行き来する度に、その場所は不気味で不吉なイメージが強化されていくように見えるのである。
本作のような莫大な予算が使える娯楽大作では、同じセットやロケーションを利用して、似たような風景を何度も見せるのは珍しい。それは、多くの撮影現場を用意できない低予算作品に使用されがちな、苦肉の演出だと見られるからである。しかし呪術的とすらいえる、ここでボンドが往還し続ける奇妙な時間は、『007』シリーズ全体を通してもとくに異様な雰囲気を持った、印象に残るものだ。それは、生と死の世界のイメージを投影させた空間を行き来する、不気味な能の舞台のようでもある。
そんな東洋的呪術性に囚われながらも、最後にボンドの目の前に現れるのは、精神の解放であり、かつてない幸福感である。ボンドは、これまでの“ボンド”という立場から降りて、人並みの幸福を選択することで、ついに自ら被っていた「007」という、修羅の世界から抜け出し、能面を捨て去ることに成功するのである。それは、暗い運命を背負い続けてきたダニエル・クレイグのシリーズの終焉として、相応しいものだったといえるだろう。そして、これだけの年月をかけて一つの長大な物語を成立させたのは、『007』シリーズでも初めてのことなのだ。
今後、どのように『007』シリーズが変化していくのかは、次のシリーズの主演が決定するまで、当分の間は予想が難しい。願わくば、本作でボンドがたどり着いた境地を無駄にせず、男性たちのための単なるファンタジーにとどまらない、未来に向けた内容になってほしいものである。それでこそダニエル・クレイグのシリーズは、時代の終焉を郷愁とともに描いた、一つの“崩れゆく神話”として、より愛せる存在となるはずなのだ。
■公開情報
『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』
全国公開中
監督:キャリー・フクナガ
製作:バーバラ・ブロッコリ、マイケル・G・ウィルソン
脚本:ニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド、スコット・バーンズ、キャリー・フクナガ、フィービー・ウォーラー=ブリッジ
出演:ダニエル・クレイグ、レイフ・ファインズ、ナオミ・ハリス、レア・セドゥ、ベン・ウィショー、ジェフリー・ライト、アナ・デ・アルマス、ラッシャーナ・リンチ、ビリー・マグヌッセン、ラミ・マレック
主題歌:ビリー・アイリッシュ「No Time To Die」
配給:東宝東和
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