『あの花』が“回帰点”として心に残り続ける理由 「超平和バスターズ」の10年を振り返る

 『心が叫びたがってるんだ。』(以下『ここさけ』)では、両親の離婚の原因となった自分の言葉を内に閉じ込めてしまった少女・成瀬順が主人公となる。散文的な言葉を発すると腹痛を起こしてしまう順は、歌の中に心の内を解放する手立てを見つけ、地域交流会のためのミュージカル上演に積極的に関わっていく。しかし恋心を抱いていた坂上拓実の本心を知ってしまった彼女は、ミュージカルの本番直前、家族の不和の発端である山の上のラブホテル(それは“大人の秘密基地”であると同時に、その廃墟化した姿は“過去”を強く暗示している)に逃避=回帰し、再び心に鍵をかけようとする。しかし順は、拓実に率直な言葉を投げつけることにより、ショック療法的に心の閉鎖性から解放されることに成功する。この物語では「玉子」や「ラブホテル」といったイメージが閉鎖性のメタファーとして機能するとともに、それらが秩父の盆地上の地形の閉鎖性と重ね合わせられる。

 この『ここさけ』公開後から2年後の2017年、岡田麿里は自伝『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』の中で、自らの出身が秩父であったことを公式に明かしている。じんたんと同じ登校拒否児(ひきこもり)であった彼女は、その敏感かつ内省的な感受性によって秩父を「緑の檻」と捉え、それと対照的な「外の世界」を常に意識していた。彼女が母親の「彼氏」の暴力から逃れる一幕の描写にはこうある。

「外の世界とは山で隔離された秩父の、そのまた壁で隔離された家の中の……そして今日は、部屋どころか物置部屋の押入れの中の。私はどれだけ深くまで逃げこんでいくんだろう。外の世界が、どんどん遠ざかっていくのを感じているのに」(岡田麿里『学校へ行けなかった私が「あの花」「ここさけ」を書くまで』、p.103、文藝春秋、2017年)

 そして次作『空の青さを知る人よ』(以下『空青』)では、秩父の閉鎖性からの“離脱(解放)”というモチーフがよりいっそう明確に主題化される。冒頭のシーンにおける相生あおいの「盆地ってさ、結局のところ壁に囲まれてるのと同じなんだよ。私たちは巨大な牢獄に収容されてんの」というセリフが学生時代の岡田の心情を代弁したものであることは言うまでもない。この秩父の閉鎖性は、しんのが思い出を閉じ込める「ギターケース」、13年前のしんのが現れる「お堂」(しんのは当初このお堂から外に出ることができない)、あかねが閉じ込められる「トンネル」のシーンに重ね合わせられ、クライマックスに向けてそこからの“離脱(解放)”の過程が描かれる。

 しかしこの作品のポイントは、秩父=閉鎖性からの単純な逃避を描いたわけではないところにある。あおいの姉・あかねは、慎之介の誘いを断って秩父にとどまることを選択した。彼女はいわば秩父という“回帰点”の象徴のようなキャラクターである。あおいは秩父からの離脱を望みながらも、あかね=秩父のことを深く思いやっている。そして上京した後に挫折した慎之介も、あかねの元に“回帰”することによって己の本心(=しんの)と対峙し、未来への希望を取り戻す。

 よく知られているように、『空の青さを知る人よ』というタイトルは、「井の中の蛙大海を知らず」という荘子の言葉に後年付け加えられたとされる、「されど空の青さを知る」という句から取られている。それは「井の中の蛙」というネガティブなイメージに、“狭量だからこそ見えてくる深い本質がある”という肯定的評価を付加したものと考えられる。ラストシーンにおけるあおいの「ああ、空…くっそ青い」というセリフにはこの両義的な肯定感が端的に表れている。短いながらも見事な“タイトル回収”だ。

 しんのとあおいの飛翔シーンに関する岡田のコメントを見ると、この秩父という土地へのアンビバレントな評価は彼女の中にもあったようである。

「[…]空を飛ぶと秩父の景色が見えるからいいなと思いました。私はこれまで秩父を描いた時に、『緑に囲まれている』とか『緑の牢獄』とかそんなことばかりを書いてきたんです。だから三部作[筆者註:『あの花』『ここさけ』『空青』のこと]のラストでは飛んでそこから抜け出すんだなと。そして秩父を上から見下ろしたらこんなにきれいだったのか、というところに到達できたら三部作としてはいいんじゃないかと」(『空の青さを知る人よ』Blu-ray Box所収の「SPECIAL BOOKLET」)

 『あの花』から始まり、『ここさけ』『空青』へと至る“秩父三部作”の中で描かれていたものは、“回帰(閉鎖)からの離脱(解放)”であると同時に、“回帰することへの肯定”だったと言える。

 こうして振り返った時、すでに『あの花』の中にこのようなテーマ意識が表されていたことに気づく。最終話のめんまとの別れのシーンを思い出してみよう。じんたん、あなる、ゆきあつ、つるこ、ぽっぽ、そしてめんまは、「秘密基地」から外に出て、秩父の風景を見渡すことのできる野外で「かくれんぼ」をする。実はこの別れのシーンに関しては、秘密基地の中と野外のどちらを舞台にするかという問題が制作段階で生じたらしいが、最終的に野外のシーンが選択された。長井によれば、その時「秘密基地で終わっちゃうと、閉じた話で終わりそうな感じがして、なんとなくこう開けた場所に持ってきたいな」(『あの日見た花の名前を僕たちは知らない』Blu-ray Box所収の最終話オーディオコメンタリ)という気持ちがあったようだ。

 そしてエピローグでは、じんたんが再び秘密基地の中に戻ってくる。彼は一人佇みながら、めんまの書いた「超平和バスターズ」の文字を見つめる。「俺たちは大人になっていく。だけど、あの花は、きっとどこかに咲き続けてる。そうだ、俺たちはいつまでも、あの花の願いを叶え続けてく」というモノローグとともに、秘密基地を後にし、外で待つ仲間たちのもとに向かう。

 「秘密基地」=「あの日」は“帰る場所”であると同時に、“そこから離れ未来へと向かう場所”でもある。未来へ向かって進み成長しながら、時として不意に訪れる「あの日」の記憶に回帰し、またそこから離脱して前に進み直す。「超平和バスターズ」が辿り着いた最終解は、そうした絶えず延長していく楕円軌道のような生の歩みだったのかもしれない。

 今年2021年は『あの花』の放映10周年の年だ。来る8月28日には記念イベント「ANOHANA 10 YEARS AFTER Fes.」が秩父で開催される。「超平和バスターズ」も、キャスト陣も、そして僕ら視聴者も、再び10年前の「あの日」に戻ろうとしている。そう、『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』という作品そのものが、僕らにとっての“回帰点”に他ならないのだ。僕らはこれからも都度『あの花』という作品に“回帰”し、そこからまた未来へ進むという営みを繰り返していくのだろう。むろん、これから観る人にとっても、『あの花』が一つの“回帰点”として心の一隅を占め続けるに違いない。

■イベント情報
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』10周年記念イベントANOHANA 10 YEARS AFTER Fes.
8月28日(土)
16:15開場 17:15開演 19:20終演予定
会場:秩父宮記念市民会館 大ホールフォレスタ/秩父市役所前駐車場
出演:入野自由、茅野愛衣、戸松遥、櫻井孝宏、早見沙織、近藤孝行
監督:長井龍雪、脚本:岡田麿里、キャラクターデザイン:田中将賀
MC:吉田尚記(ニッポン放送 アナウンサー)

■作品情報
『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』
監督:長井龍雪
脚本:岡田麿里
キャラクターデザイン・総作画監督:田中将賀
アニメーション制作:A-1 Pictures
声の出演:入野自由、茅野愛衣、戸松遥、櫻井孝宏、早見沙織、近藤孝行
(c)ANOHANA PROJECT
公式サイト:https://10th.anohana.jp

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