『風立ちぬ』に込められた宮崎駿の3.11への葛藤 “ピラミッドのある世界”の肯定
8月27日、『風立ちぬ』が『金曜ロードショー』(日本テレビ系)で放送される。本作は2013年に制作された宮崎駿監督のアニメ映画で、零戦の設計者として知られる堀越二郎の半生を追ったものだ。同時に堀辰雄の実体験を元に書かれた小説『風立ちぬ』(野田書房)の要素も組み込まれている。
飛行機の設計に情熱を燃やす堀越の姿には、アニメ監督・宮崎駿の姿が投影されている。これは堀越の声をロボットアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』等の作品で知られるアニメ監督の庵野秀明が担当していることや、劇中に繰り返し登場する机に座って鉛筆で図面の線を引く姿に強く現れている。つまり本作で飛行機を作るために奔走する堀越の姿は、アニメ映画を作り続けてきた宮崎駿自身の姿だと言っても過言ではないだろう。
その意味でも自伝的作品だと言えるのだが、同時に宮崎は自分の父親の姿を堀越に重ねているとも告白しており、一つの物語の中に様々なレイヤーが重なった複雑な作品だと言える。
ただ、物語の流れは実にシンプルで、大正時代の幼少期から関東大震災を経て、戦時下の昭和へと向かっていく直線的な作りとなっている。
結核の女性・菜穂子とのラブストーリーも丁寧に描かれているため、朝ドラや大河ドラマを観る感覚で楽しめる万人に開かれたエンタメ作品だと言えるだろう。しかし、そうでありながら本作には、なんとも言えない違和感が最後まで付きまとう。
それは堀越二郎の描かれ方に強く現れている。飛行機の設計技師として邁進する堀越の姿はメガネをかけた優しい青年として描かれており、決して悪人というわけではない。しかし、どうにも佇まいがおかしく人間味が感じられない。ここまで感情移入しにくい主人公も珍しいのではないかと思う。
劇中には関東大震災で被災した人々の姿や、仕事を求めて街に向かう人々の姿が登場する。宮崎駿は群衆を描き続けてきたアニメ監督で、多くの人々が活き活きと動き回るモブシーンは一番の魅力となっている。しかし本作の群衆はどこか遠く感じる。それは彼らを見る堀越の心情が描写されないまま、風景のように通り過ぎていくからだ。
そんな堀越が、親の帰りを待つ子供たちを心配してシベリアというお菓子を差し出す場面は、珍しく彼が人間らしさを見せる場面だが、そんな堀越の振る舞いは子供たちに拒絶されてしまう。
そのことを同僚の新庄に話した堀越は「偽善だ」と言われる。そして、彼らが作っている飛行機製造の予算があれば、この国の子供たちの飢えを満たすことは簡単にできるという残酷な現実が明示される。