有村架純演じる里穂子の再生物語 『コントが始まる』は“推しのいる生活”を本質的に描いた

 6月19日に最終回を迎えた『コントが始まる』(日本テレビ系)。第1話から芸人マクベスの3人によるコントがその回の内容にリンクしていたことをはじめ、様々なことが“伏線回収”されていく脚本の巧みさに毎度唸ってしまうドラマだった。その巧さも異色だったが、何が異色かというと、里穂子(有村架純)とマクベス……特に春斗(菅田将暉)との距離感だ。

 『コントが始まる』はマクベスの芸人人生の転機を描くと同時に、里穂子の「推しのいる生活」を描いた作品だ。そのファン……というかヲタ姿勢は徹底され、ある意味視聴者の予想を裏切り続けてきた。なぜなら、従来のこういった「有名人」と「ファン」を描いたドラマないし映画では、それが異性同士であればなおさら“恋愛”に発展するのが常套句だったからだ。

 憧れのバンドマン、今を時めく俳優……少女漫画の一種のジャンルともなっているこの類の物語で、ヒロインたちは紆余曲折を経て彼らと結ばれる。特にマクベスのような小さな箱でのライブがメインの芸人は、現実世界でもファンと距離が近い存在。“繋がり”を求めてお近づきになる異性も多いなか、彼らのファンである里穂子が勤めるファミレスに来るという設定は、まさに彼女が彼らと恋愛関係になれるお膳立てのようなものだ。ところが、その距離感は最初から最後まで、揺るがず絶妙だった。そういう俗的なことではない、そこには“真の推し活”が描かれていた。

里穂子とマクベスの距離感

 普通、ファミレスで接客していた興味津々の相手が近所に住んでいて、その芸人のファンになってライブに行った帰りに話しかけられたら、ドラマ的に考えると恋の予感さえしてしまう。ところが、家で一緒にタコパをしたり、飲む仲になったり、そういったフラグが何度立とうとも里穂子のファン精神は揺るがない。最初から最後まで敬語だし(酒に飲まれた時は別)、飲みの場も自分から気軽に連絡して誘うことはない。家に大ファンのトリオがやってきた時も、むしろ「推し」に家を見られることが恥ずかしくて嫌がってさえいた。

 つむぎ(古川琴音)も、ファミレスの店長である恩田光代(明日海りお)も、里穂子が彼らのことが気になっているのは、恋愛的な文脈でのものだと睨んでいた。彼女たち曰く、コントが面白くないマクベスを好きな理由はメンバーの誰かがタイプだとか、そういうことでしかないからだと。しかし、里穂子はそれに対し第1話からキッパリと「芸人は面白いから好きになるんじゃない。見た目がタイプだとかでもない。それはない」と言い切っていたのだ。

 振り返ると、彼女がマクベスのファンになったきっかけはファミレスでネタ合わせをする彼らが気になって、その好奇心がどんどん加速していき、住んでいる家も、そして最終的にはトリオ名もネット上で探し出したというところから始まっている。なんなら彼らの住む部屋の間取りを見るために内見までしていて、膨大な時間をかけてトリオの名前を探し出すためにあらゆる事務所のサイトをチェックしていたことを考えると、過激派のストーカー的な危ないファンになってもおかしくない行動をしていたことは事実だ。

 しかし、そこまでいっても彼女はそれ以上は踏み込まず、境界線を守り続けた。特に春斗と男女の間柄にならなかったのは、そうすることで彼女の「推し」が失われてしまうから。本ドラマはこの里穂子を通して「推し」が生活において、どれだけ個人(ファン)にとって大きな存在であるか、その真意を映し出した。

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