渡辺謙と宮沢氷魚、世代を超えた俳優同士の化学反応 奇跡の“復活劇”『ピサロ』を観て

 本作は二幕の構成となっている。第一幕では、ピサロ軍によるインカ帝国の制圧までが描かれ、第二幕では、ピサロとアタウアルパの交流と、軍の破綻、果ては“王(神)の死”までが描かれる。この二幕構成における“アタウアルパ=宮沢氷魚”の変化が興味深い。第一幕においてはアタウアルパが誰かとセリフのやり取りをする瞬間はかぎられている。彼は王であり、神という絶対的な存在としてピサロ軍の前に立ちはだかる。ここで宮沢は、“佇まいだけで魅せること”が徹底的に求められていると思う。これは、俳優であれば誰にでもできるというものではもちろんないし、モデルでもある宮沢だからできるというものでもないはずだ。舞台上の床を踏みしめる一歩一歩の足の運び、一陣の風を巻き起こしそうな腕の振り、ひとたび立ち止まれば、自身の意志以外では動かすことができないような真っ直ぐに伸びた体幹。これらを得るには、そうとうな訓練が必要なはずだ。劇場で目にした方ならうなずいていただけることだろう。一方の第二幕で宮沢は、ピサロとの交流によってより“人間”となっていくアタウアルパの変化を演じる。ここからが渡辺謙との本格的な“対決”のはじまりだ。

 ピサロとアタウアルパには、互いに「私生子」だという共通点がある。このような出自を背景にピサロは成り上がっていまの地位についたが、アタウアルパはこれこそが「偉大な者である証」だと口にし、彼に親愛の情を示す。その“力”によって認められてきた粗暴なピサロにとって、はじめて芽生えた感情があるのだろう。親子ほど年の離れたふたりは、特別な関係となっていく。ここで垣間見えるのが、人間・アタウアルパの姿だ。演じる宮沢は、まだあどけなさを残した少年のようである。無邪気に笑みを浮かべてみせ、舞台上を歩む姿は“舞い”のように軽やか。しかし、ひとたび王であり神の子・アタウアルパに戻れば、セリフの調子にも身のこなしにも荘厳さが宿る。アタウアルパの身に染み付いた“王の資質”までも、宮沢は体現しているのだ。

 もちろんアタウアルパの変化は、粗暴なピサロの変化があってこそ。つまりは、対峙する渡辺の変化があってこそ、宮沢も変化するのだ。本作ではピサロとアタウアルパという不動の存在の間に親愛の情が生まれ、渡辺と宮沢の間にも世代を超えた俳優同士の化学反応が生まれているようである。

 物語は、人々の“信仰”や“愛”の揺らぎへと帰結する。私たちの生きる現実世界においても、各々の信ずるものが違うことによって、すれ違い、衝突が起きる。けれどもそこに“対話”が実現すれば、“愛”が生まれるかもしれない。史実では、ピサロはアタウアルパを処刑したとある。しかし本作はフィクションであり、史実とは異なる結末をみせる。ここに、いまを生き、異なる文化の壁を超えてみせようという私たちの希望が垣間見えるように思う。

 たとえ同じ演目であっても、時代の変化によって見え方も変化するはずだが、1985年に上演されたものはもちろんのこと、2020年に上演されたものともまた異なっているのであろう『ピサロ』。俳優たちと観客、そしてこの関係を支える多くの人々の力によって、まさに奇跡の“復活劇”が渋谷で起きている。

※山崎努の「崎」は、正式には「たつさき」。

■公演情報
PARCO PRODUCE 2021『ピサロ』(原題:The Royal Hunt of The Sun)
日程:2021年5月15日(土)~6月6日(日)
会場:PARCO劇場
作:ピーター・シェーファー 
翻訳:伊丹十三 
演出:ウィル・タケット
出演:渡辺謙、宮沢氷魚、栗原英雄、大鶴佐助、首藤康之、菊池均也、浅野雅博、窪塚俊介、小澤雄太、金井良信、下総源太朗、竹口龍茶、松井ショウキ、薄平広樹、中西良介、渡部又吁、渡辺翔、広島光、羽鳥翔太、萩原亮介、加藤貴彦、鶴家一仁、王下貴司、前田悟、佐藤マリン、鈴木奈菜、宝川璃緒、外山誠二、長谷川初範
企画・製作:パルコ

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