映画『聲の形』に込められた“語りたくなる何か”を考える “卒業”が意味するもの

 京都アニメーション作品では花言葉などが重要なメッセージを込められていることがあるが、見方によってはわかりやすく、強固な演出がなされているのも特徴的だ。それらは他の演出にも見受けられる。

 例えば終盤、硝子が贖罪を伝えようと友人たちを訪ねるシーンでは、硝子は黒い上着を身に纏うが、黒は将也の私服の色だ。ここでも罪と贖罪の共有化が図られているほか、硝子が自ら死を選んだことを最初に謝る相手が将也の母という点においても、その後の行動も将也と重なるように作られている。

 圧巻なのは植野直花の描き方だろう。彼女は一貫して硝子に対して当たりが強く、まるで障がい者をいじめている存在にも見えてくる。しかし、それと同時に彼女は自身の障がいを楯に人とぶつかり合うことを避け、徹底的に自分が悪いと語る硝子に対して怒りをぶつけている。

 この描写に対して植野に憤りを覚える観客もいるだろう。一方で、多くの登場人物が”障がい者である硝子”として見ていることに対して、植野は恋敵であると同時に”障がいを楯にして、コミュニケーションを拒否する硝子”に対して怒りをぶつけているようにも感じられてくる。そのどちらの見方をとるかは読者に委ねるが、どちらがより障がい者に対して健常者がとるべき姿なのか、考えさせられてしまう。

 これらの複雑なバランス感覚は、山田尚子以外のスタッフの力も大いに関係するだろう。絵コンテを担当した三好一郎、原画の筆頭としてクレジットされている多田文雄は、京都アニメーションの精神を体現したとも言われる日本を代表するアニメーター、木上益治の別名としても知られている。

 また総作画監督・キャラクターデザインの西屋太志、絵コンテと演出を務め、後に『ツルネ -風舞高校弓道部-』を監督する山村卓也、聴覚障がいの音を繊細に捉えながら、映画の音声として聞き応えのある作曲を行った牛尾憲輔などの仕事が合わさった、総合芸術としての完成度の高さが作品全体を支えている。

 本作にはいじめと障がいをテーマにしながらも、明確な悪人は出てこない。皆、一様に自分の正しさを思いを持ち、それを時にぶつけ、時に逃げながらも人生に立ち向かう人々を描いた作品だ。その人物描写は、キャラクターという表現を遥かにこえ、人物、人間の複雑さを捉えている。

 「共に生きていこう」と語った2人はようやく人生をスタートすることができた。青春は決して明るい、楽しいことだけではない。時には大きな過ちを犯しその後悔で、あるいはそういった過ちの被害で苦しむこともあるだろう。10代の頃は自分の人生に価値はないと、強く思ってしまうこともしばしばある。それでも、それでも……と語りたくなる何か。それが映画『聲の形』には込もっている。

■井中カエル
ブロガー・ライター。映画・アニメを中心に論じるブログ「物語る亀」を運営中。
@monogatarukame

■放送情報
映画『聲の形』
NHK総合にて、4月29日(木・祝)15:35~放送
制作:京都アニメーション
監督:山田尚子
脚本:吉田玲子
声の出演:入野自由、早見沙織、松岡茉優、悠木碧、小野賢章、金子有希、石和由依、潘めぐみ、豊永利行
(c)大今良時・講談社/映画聲の形製作委員会

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