“選ばれなかった者”の本音の叫び 今泉力哉の持ち味活かされた『街の上で』の重層的な構造

『街の上で』の重層的な構造を読み解く

 近年、日本の映画界で日に日に存在感を増している、今泉力哉監督。その新作『街の上で』が、4月23日より全国で順次拡大公開されることが決定するなど、支持を高めている状況だ。最近になって、比較的メジャーなタイトルを手がけるようになった今泉監督だが、小規模な体制で撮られた『街の上で』は、これまでの今泉作品の持ち味が、十分に活かされ洗練された内容になっているのが嬉しい。

 過去作『パンとバスと2度目のハツコイ』(2018年)や、『愛がなんだ』(2019年)などの作品同様、今回も“追いかける”恋愛を描きながら、本作はこれまで以上にシュールなコメディー要素が散りばめられ、かなり笑えるシーンが多い出来ともなっている。『愛がなんだ』でナカハラ役を演じて強い印象を残した若葉竜也が演じる主人公を軸に、舞台となっている下北沢の様々な場所で、まるで「ショートコント・下北沢」とでも呼びたくなるような、ユーモラスな場面が連続していく。

 コメディーの色合いがより強くなったのは、今泉力監督とともに、映像作品も手がける漫画家・大橋裕之が共同で脚本を書いていることからも起因しているように感じられる。大橋といえば、先頃アニメーション映画化された、不良たちのバンド活動を描く『音楽』(2020年)が話題となった。そのサブカルチャーや自意識を題材にした作風や、ときにシュールに、ときにギスギスした人間関係における会話そのものを娯楽として表現する“センシティブな”作家性は、今泉監督と近いところにあるといえよう。

 本作の主人公である、下北沢の古着屋で働く20代後半の荒川青は、付き合った彼女に浮気された上、それを問い詰めている最中に別れを切り出される。その後も諦めきれずに連絡し続けていることで、青は行きつけのバーのマスターから釘を刺されてしまう。そんな冴えないエピソードから動き出す本作の物語は、下北沢の喫茶店や古書店、ライブハウス、美大生の映画撮影現場などを映し出しながら広がりを見せていく。

 古川琴音演じる古書店の店員とのやり取りから察することができるように、どこか手応えのない、空転したような日常を送っている青は、以前はミュージシャンを目指していたようだ。下北沢といえば、若者が多く、小さな劇場やライブハウスなど様々な文化が集中し、発信していることから、“表現者になる夢を追う若者たちの街”としての顔がある。このような場所で、とくに夢への現実的な努力を諦めながらアラサーの年代まで過ごしてしまっている青は、同類ともいえる美大生たちに“オッサン”扱いされる始末だ。

 その意味で本作の主人公は、L.A.を舞台にした映画『アンダー・ザ・シルバーレイク』(2018年)で、街に慣れたものの家賃を払えなくなってきている主人公を想起させるところがある。そんな“東京のシルバーレイク”とも呼べる場所を離れてしまえば、いよいよ夢破れたことを自覚せざるを得なくなる。だからこそ下北沢を離れられないのだ。

 美大生から自主映画への出演を依頼された青は、やる気の無さを装いながら、しかし密かに、この新たなチャンスに対して、密かに期待を寄せてしまう。この状況は、青が軽蔑の念を隠しきれない、小説家志望から役者の道に切り替えようとするバーの常連と同じ道を辿っているといえるのだが、本人はそのことに気づいていない。喜劇は、本人にとって笑えない悲劇である。そういう意味では、本作が笑えれば笑えるほど、内容は残酷さを帯びてくることになる。

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