『街の上で』が祝福する繰り返しの日々 今泉力哉監督が描き続けてきた“不在"のありか

『街の上で』から振り返る今泉力哉の作家性

荒川青という、下北沢に棲む精霊

 『愛がなんだ』にも『街の上で』にも、そして他の今泉映画にも、“成就しないもの”へのまなざしがある。叶わない恋であっても、結果につながらなかった演技の練習であっても、他の誰かが、あるいはカメラ(を通して私たち観客)がそれを見ている。

 荒川青は、もはや下北沢そのもののようである。プロット段階では主人公の名前が「荒川土地男(トチオ)」であったという逸話(プロダクションノートより)も含め、まなざすこと(それが、「ふと目をやる」という気軽さであっても)の主体となるのが、この映画では荒川青であり下北沢という街だからだ。掬い上げることがなければ誰も見ることがなかったものの連鎖で成り立っている「映画」という媒体に、下北沢の精霊(または亡霊)のような存在が浮かびあがってくる。みんなを見守っているかのように彼は少し離れた場所で酒を飲み、すっと去っていくだろう。しかしその精霊に声をかけることで、またはじまるドラマもある。

 この映画のもっとも魅力的な時間と言ってもいいだろう城定イハ(中田青渚)とのダイアローグは、そのようにして導かれる。そこで私たちが発見の歓びを感じるのは、二度と再現されない一度きりの出会いや会話(実際に撮影は一発撮りだったという)に対してだけでなく、関西弁とタメ口で翻弄する彼女の美しい距離の詰め方、そして役者自身=中田青渚への興味など多層に及ぶ。

 いやはや、役者の美しさに触れないわけにはいかない映画だ。『愛がなんだ』から名前の韻を踏む役柄(仲原青→荒川青)を演じた若葉竜也は、安易に属性分けできないミステリアスさと実直さの渦巻く、それこそ精霊のように純粋で亡霊のように彷徨する佇まいをしていた。成田凌が終盤で見せる艶やかなダメさにも惹かれてしまうし、古本屋(古書ビビビ)の店員・田辺冬子=古川琴音の鋭利な視線と豊かな声色の変化にもなんども意表をつかれてしまう。

 『街の上で』には、映画を観ることの歓びが詰まっている。『街の上で』は、街を歩くことの驚きを唄っている。

 補足だが触れておかないといけないのは、この映画が2019年夏に撮られ、一度は2020年5月に公開される予定だったものが1年延期し、ここにようやく公開日を迎えたことだ。街の風景も人々の姿も、社会のあり様もあれからずいぶんと変わった。『街の上で』に映る下北沢は、今現在どれほど残っているだろう。

「変わってもなくなっても、あったってことは事実だから」

 荒川青は今日も古着屋で客を待ちながら本を読んでいるだろうか。いないかもしれないけれど、ちょっと探しにいってみたいなと思う。

■原航平
ライター/編集。1995年、兵庫県生まれ。Real Sound、QuickJapan、bizSPA!などの媒体
で、映画やドラマ、YouTubeの記事を執筆。Twitterブログ

■公開情報
『街の上で』
新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷ほかにて公開中
出演:若葉竜也、穂志もえか、古川琴音、萩原みのり、中田青渚、成田凌(友情出演)ほか
監督:今泉力哉
脚本:今泉力哉 、大橋裕之
配給:『街の上で』フィルムパートナーズ
配給協力:SPOTTED PRODUCTIONS
(c)『街の上で』フィルムパートナーズ
公式サイト:https://machinouede.com/
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