“獅子の時代”から“幼な子の時代”へ 『すばらしき世界』でも名演見せた役所広司の魅力

日本映画界最高の役者、役所広司の魅力

 一つの集大成となったのは、90年代の終わりに公開された主演映画『金融腐食列島 呪縛』(1999年)である。これは、日本の巨大銀行の経営危機をリアルに描く作品。複雑怪奇な銀行内部の仕組みが難解に感じられるところもあるが、その内容をごく単純化すると、日本の経済を牛耳り、既得権益に浴している老年世代を、より若い“中堅世代”が打ち破るという構図となっている。

 そこで役所が演じたのは、劇中で「ミドルの獅子」と表現される、銀行内における中堅世代の中心人物だ。面白いのは、彼らの世代を押しつぶそうとする老年の権力者を仲代達矢が演じていることである。現実でも師弟関係にあった間柄であり、役所の名付け親“ゴッドファーザー”でもある仲代と、仲代を尊敬し、その背中を追ってきた役所が対決するのである。原田眞人監督は、『検察側の罪人』(2018年)でも、同じ事務所の先輩・後輩の間柄である木村拓哉と二宮和也を対決させて、虚構と現実的が混ざり合う緊迫感をドラマに加えていた。また原田監督は、この作品において巨大銀行の権力構造を、崩壊するローマ帝国になぞらえている。仲代の演じる人物は、ローマ帝国建国のシンボルとなっている、オオカミと乳飲み子の像が飾られている部屋で傍若無人の振る舞いをする。そんな老齢のオオカミを、「ミドルの獅子」が倒すのである。

 もちろん、これは映画の描く物語に過ぎず、現実に役所広司が仲代達矢を乗り越えたという短絡的なことにはならない。だが、役所を“ミドルの役者”ととらえたときに、この“獅子”という言葉は、フィクションを超えた象徴的なものとなる。哲学者ニーチェを代表する著作『ツァラトゥストラはかく語りき』の中で、ニーチェは「精神の三つの変化」として、人生の辿る理想的な道程を「ラクダの時代」「獅子の時代」「幼な子の時代」と表現した。重い荷物を背負い従順に知識や経験を吸収する青年期、自分を支配する概念に反発して対決する中年期、そしてあらゆるものを純粋な目で見つめて無邪気に遊ぶ老年期である。

『すばらしき世界』(c)佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会

 この考え方は、日本で芸道など様々な技術の継承と発展への心構えとされてきた「守破離」と重なる概念といえる。役者の人生をこの考え方にあてはめるとき、“ミドルの役者”としての役所の成功は、まさに仲代の影響下にあったラクダの時代を経て、無名塾から独立するとともに精神的に自立することで独自の表現に向き合った結果、到来したものではないか。『終の信託』(2012年)における、目線を変化させるだけで、セリフを喋っていない瞬間も死を前にした感情を雄弁に語っているように見える演技や、『すばらしき世界』で、長い刑期を終えて社会復帰しようとする男のなかの、善良さと負の感情、未来に進もうとしながらも古い自分と戦うという精神的葛藤が渦巻く演技の素晴らしさは、その成果と言っていい圧倒的な仕事だった。

 そんな役所も、そろそろミドルの時代を降り、ニーチェが述べた「幼な子の時代」へと進む年代である。堅固な下地と、その上に積み上げられたオリジナリティ。そんな一つの道を極めた先に、役者として今後どのような創造性が表現できるのか。そこが役所広司の今後の課題となっていくのではないだろうか。現代の日本映画において最高といえる地位と技量を持つ一人の役者の、今後の活躍と新しい境地に、ますます期待したい。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『すばらしき世界』
全国公開中
出演:役所広司、仲野太賀、橋爪功、梶芽衣子、六角精児、北村有起哉、長澤まさみ、安田成美
脚本・監督:西川美和
原案:佐木隆三著『身分帳』(講談社文庫刊)
配給:ワーナー・ブラザース映画
(c)佐木隆三/2021「すばらしき世界」製作委員会
公式サイト:subarashikisekai-movie.jp

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