心揺さぶる『すばらしき世界』 この純粋な男が生き抜ける優しい世界を願ってやまない
リアルサウンド映画部の編集スタッフが週替りでお届けする「週末映画館でこれ観よう!」。毎週末にオススメ映画・特集上映をご紹介。今週は、通っていた保育園を見に行ったら記憶にあるよりもずっと小さくて驚いたアナイスが『すばらしき世界』をプッシュします。
『すばらしき世界』
どんな人にとっても、幼少期の記憶というものはこの世界を手探りで生きていく上での命綱なのかもしれない。それが幸福な記憶でも、不幸な記憶だとしても。それがその人のアイデンティティの形成に大きく関わることなのだから。過去に人を殺めた罪で13年間の刑期を経て、鉄格子の外の世界に足を踏み出した主人公の三上。本作は、少年院を含め人生の大半を刑務所の中で過ごしてきた彼が、自分の過去をたぐり寄せながらも一般社会に溶け込もうと努力する姿を描いた作品です。三上を演じる役所広司の微細な表情の作り方に、ただひたすら圧倒され、心打たれる。本当に説得力のある演技をされる役者さんだなと、改めて痛感させられました。
主人公が出所する日、「もう戻ってくるなよ」と声をかけた刑務官たちが三上の乗ったバスが発車しても、姿が見えなくなるまで見送っていたシーン。そんな冒頭だけで、すでに三上が厄介ではありながらも人に愛される男だということがわかります。そして彼は東京にやってきて、弁護士であり身元引受人の家にお世話になる。すき焼きをもてなされ、「ご飯おかわりする?」と奥さんに聞かれた三上は泣いてしまうんですね。三上が泣くと、もう私もつられて泣いてしまう。確かに人を殺してしまった。その事実に変わりはなく、その殺人の背景なども後に明かされるわけですが、もうこの時点で既に私はこの純粋な男に泣いてほしくないと思っているんです。そしてそれ以降映画の中で彼に向けられる、優しさの価値を実感し、また胸が苦しくなってしまう。
この社会の在り方は、三上のような存在にとって簡単なものではありません。刑期を終え、カタギになることを誓ったは良いものの、反社と関わりのあった者は職につくことさえ難しい。生活保護も受けられない場合がある。近所からは白い目で見られ、軽蔑される。システムからの補助もなく、環境からも切り離されてしまえば戻るところは昔の仲間の元なわけで、出所後の再犯率が高いこともこれに起因しています。そういった問題を三上の視点から実直に撮った本作で印象的だったシーンは、数えきれないほどあります。
例えば公衆電話で必死に雇先を探しながら、ふと見上げた先の歩道橋の階段をサラリーマンが忙しそうに電話対応しながら登る姿を、三上が苦虫を噛み潰したような顔で見つめるシーン。彼が「お金が欲しい欲しい」と言いつつも、それ以上にその先にある社会の一員になりたいんだ、と感じる場面です。そして刑務所生活の名残できちんと整理整頓し、規則正し生活を送る彼の素朴な朝ごはんのシーン。白米のうえに生卵を落として食べるだけなのですが、私はこの朝日に照らされた卵かけご飯のあまりの美しさに咽び泣いてしまいました。ああ、すごい、この人はとても“生きている”と思ったんですよね。私たちよりも、ずっと生きている。鉄格子の外側のこの世界で、生き抜こうとする三上の美しい生命力に心揺さぶられるのです。