『えんとつ町のプペル』にみるSTUDIO4℃の熱量 『鉄コン筋クリート』に通じる衝撃とは

 西野亮廣原作の絵本『えんとつ町のプペル』は大人も泣ける絵本らしい。らしい、というのは筆者は泣けなかったからだ。言いたいことはわかるし、多くの大人の心に刺さったのは理解できる。ただ、なんとなく泣けなかったのだ。

 だが、映画『えんとつ町のプペル』では泣いた。理由は単純だ。圧巻の映像を作ったSTUDIO4℃の熱量に当てられたのだ。

『鉄コン筋クリート』を見た時の衝撃が再び

 『えんとつ町のプペル』は、えんとつ町の俯瞰から幕を開けた。なにやらオシャレなディテールが施された無数の建物と、ぼんやりと暖かな光、そして無数の煙突から立ち上る煙、煙、煙。

 映画の始まりのシーンは観客の引きつけるための要だから、力が入っているのは当然だ。だが、それにしてもすごい。絵本の、あの「絵本にしては美しすぎる」と評価されている『えんとつ町のプペル』の世界そのものだった。

 あの絵本は映画の前振り、いわば宣伝チラシのようなもので、西野氏は物語を作った当初から映画化を見据えていたという。つまり、あの挿絵は映画のイメージボードだったのだ。そして、そのイメージボード通りに、3DCGで作品を作ろうとしたのだ。

 この街を作るのにどれだけの作業が発生したのかを考えると気が遠くなりそうだった。2Dのように背景を描いているのではない。ひとつひとつのオブジェクトを作り、そこに配置しているわけだ。あまりのこだわりに、レイヤー数が800枚を超えてしまいマシンが悲鳴をあげたらしい。すごい……。

 そして思い出した。この衝撃は、2006年に公開された、松本大洋原作/STUDIO4℃製作の『鉄コン筋クリート』を観た時と同じだった。

 『鉄コン筋クリート』はごちゃっとしたジオラマのような町が特徴的で、その背景の細かさや独特のタッチは見た人に強烈な印象を残した。発売されたアートブックは、アート学校の学生や美術を愛する人たちの中で背景の参考書として飛ぶように売れた。そのアートブックを手にとって、二重に驚いた。映画を見ただけではわからなかった細かい設定と、地図。シーンに合わせた背景を何箇所かデザインしているのではなく、町一つを設計していたのだ。

 『えんとつ町のプペル』は、このSTUDIO4℃が製作した。『鉄コン筋クリート』の世界観と表現力に惚れ込んだ同氏自らがSTUDIO4℃に直々にオファーをしたらしい。西野氏がSTUDIO4℃を選んだのは必然だ。こんなことができるのは、日本ではSTUDIO4℃くらいしかない。

「町そのものが主人公」

 もう少しだけ『鉄コン筋クリート』の話を引きずろう。

 『鉄コン筋クリート』の主人公は3人。暴力で生計をたてるクロとシロという子ども。そして、町だ。これは筆者の妄想なのではなく、実際にWEBアニメスタイルが行ったマイケル・アリアス監督インタビューでも語られている(参照:『鉄コン筋クリート』スタッフインタビュー(1)マイケル・アリアス(監督))。『鉄コン筋クリート』の宝町は、主人公として扱われていたのだ。

 そして、『えんとつ町のプペル』にとって“えんとつ町”も大事な主人公だ。タイトルにもなっているし、そもそも本作は絵本では語られてこなかった「えんとつ町」誕生の秘密を暴く壮大な物語なのだ。

 えんとつ町には様々な顔と表情がある。人が集う明るい大広場や、荒々しいゴミ処理場、ひっそりとした鉱山、禍々しい中央銀行などなど。そういった町の顔が、時にジェットコースターのように、時に横スクロールゲームのように紹介されていく。

 そして、キャラクターと同様、キャラクターアークがあり、町は物語を通して成長し、そしてその姿とあり方を変えていく。形は違えど、町を中心として、変化を求める勢力とその対抗勢力が一悶着起こすという流れも、『鉄コン筋クリート』と『えんとつ町のプペル』は同じだ。

 おそらく、えんとつ町は『鉄コン筋クリート』の時と同様に全て設計されたのだろう。カメラは町を縦横無尽に駆け抜けるし、海や少年ルビッチの家は漠然と把握できる。特にルビッチとプペルの仕事場近辺に関しては、何度も登場するあまり、なんとなく地理を把握できるまでになるのだ。なんという没入体験だろう。

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