『MIU404』の“誠実さ”、異例の朝ドラ『エール』 2020年を振り返るドラマ評論家座談会【前編】

“正しさ”を渇望している視聴者にハマった『MIU404』

『MIU404』(c)TBSスパークル / TBS

ーーみなさんから共通して挙がった作品は『MIU404』。劇中と私たちの世界がシンクロするなど(#MIU404がTwitterトレンドで1位)、SNS時代に見事にハマった作品でもあったと思います。

木俣:脚本を手がけた野木亜紀子さんは聖徳太子といいますか、本当に世の中の多くの声に耳を傾けていらっしゃるんだなと感じました。あおり運転にはじまり、青春を奪われてしまった高校生、女性の生き方、SNS社会の問題点など、いまを生きる人々の気持ちを捉えて物語に入れ込むことに本当に長けている方だと思います。加えて、綾野剛さん、星野源さん、麻生久美子さんほか、役者陣もみんなハマっていました。役者陣も野木さんの書いたセリフをただ発するのではなく、しっかり自分の中に入れて咀嚼した上で発してる印象でした。少し前であれば刑事ドラマの登場人物たちは、正義を前面に出し、熱かったと思うんですが、『MIU404』の登場人物は、相手を受け入れて思いやって何をするべきか考える、熱いよりもあったかい感じが、いま、好まれているような気がします。

成馬:僕は『MIU404』と『コタキ兄弟』は、セットで考えています。野木さんの作品は、『逃げるは恥だが役に立つ』(TBS系)、『アンナチュラル』(TBS系)、『MIU404』のTBSドラマの路線と、『獣になれない私たち』(日本テレビ系)、『コタキ兄弟』の路線に分かれていると思うんですよ。前者の『MIU404』の路線の方が多くの視聴者に受け入れられていると思うのですが、評価されたポイントは“正しさ”だと思うんです。『鬼滅の刃』の大ヒットもそうですが、『MIU404』は“正しさの指標”になっていて「何が正しくて、何が間違っているか」という倫理観を作り手がしっかりと打ち出した上で、エンタメ作品に仕上げていることが一番の価値となっている。作家として今の時代と真正面から向き合い、人々が求めるものを打ち出す“誠実さ”には頭が下がるのですが、視聴者としては、どこか居心地が悪い。批評的に読み込んで、すごい部分を指摘することはいくらでも可能ですが、自分の居場所はここにはないなと思い、若干引いた目で観ていました。対して、『コタキ兄弟』の世界は、自分にも居場所があると感じられた。

ーー成馬さんと同じように、野木さんの作品が好きでも『MIU404』を自分の物語として感じられないという意見はちらほら見かけました。まさにその“誠実さ”が窮屈に見えるというか。

成馬:野木さんは“正しい人間”だけを描きたいわけではないと思うんですよね。『コタキ兄弟』の第2話に登場するレンタルオヤジが「正論だけで生きていける幸せな世の中なら、私たちなんて必要ありません」と言うんです。その言葉の通り、多くの人は“正しさ”だけで生きていけないし、間違ってしまうことも多いし、単にだらしないという人も多い。野木さんはそういった“正しさ”から溢れ落ちて、燻っている人を描くのもうまいんですよ。『コタキ兄弟』と『MIU404』の両輪があるあるから作家として面白いのであって、『MIU0404』だけが絶賛されている状況は、どうにも居心地が悪いですよね。とは言え『MIU404』も、菅田将暉さんが演じた久住との対決を描いた終盤は作り手のジレンマが感じられて面白かったです。久住は人々の欲望を操作することに長けているのですが、終盤のSNSの見せ方は、野木さんたちドラマスタッフが、ネットの声を拾うことの危うさに自覚的だからこそ出てきたもので、露悪的な自己言及として描くと久住の描写になる。『アンナチュラル』の終盤も同じような展開でしたが、犯罪者をきっぱりと否定した『アンナチュラル』に比べると、久住の描き方は、良い意味で不安定で曖昧なところがあり、その結果、とても魅力的なキャラクターになっていた。野木さんは『アンナチュラル』の批評として『MIU404』を書いたとおっしゃっていましたが、久住の描き方に、それが強く現れている。

田幸:今年は野木さんを筆頭にエンタメ界に携わる方々の覚悟を感じた年でもありました。コロナ禍があり社会も不安になっていく中で、市井に生きる人々の声を絶対に届けるんだという想いが『MIU404』にはあったように思います。政治の腐敗を描いていた『半沢直樹』(TBS系)、現代人の問題を描いていた『35歳の少女』(日本テレビ系)、ひたすら“頑張る”ことを描いた『鬼滅の刃』など、敏感に世の中の危機を感じ取ってエンタメに昇華された作品が非常に多かった印象です。それらの作品の中でも、映画『罪の声』とあわせて、野木さんの作品が一番社会の声とリンクしているのかなと。その分、いろんなものを背負っていて、成馬さんがおっしゃったように、求められるものと描きたいものの狭間にいるようにも感じました。

ーー熱狂を生んだ作品としては、1月期の上白石萌音×佐藤健『恋はつづくよどこまでも』(『恋つづ』)、10月期の森七菜×中村倫也『この恋あたためますか』(『恋あた』)のTBSドラマ2作品が話題となりました。

田幸:コロナ禍だからこそ、恋愛ものが復活した良さはあるなと思います。ただ、昔やっていたことをそのままやるんだと、どうしてもダメで、そのあたり、TBSの火曜10時枠ドラマはすごく上手に作っているなと思います。昔の「月9」に変わる存在になりましたよね。やっぱり恋愛ものはいつでも需要はあったんだなっていうことを改めて感じました。

木俣:月9黄金時代のようなラブストーリーとは少し違って、登場人物がどこか慎ましいですよね。物語に大きな波がなく、穏やか。また、『恋つづ』『恋あた』の2作品に関しては、素敵な恋愛物語も描きつつ、どちらかというと、「こんな佐藤健を観たい!」「こんな中村倫也が観たい!」という視聴者の希望を叶えるシチュエーションドラマだったように感じました。もちろん、2作品の彼らはその希望に沿って素敵だったのですが、女の子が憧れる対象というキャラクターではない、彼らの高い演技力をフルに使って、もっと男性主体の、問題意識のあるようなドラマを演じてほしいと個人的には思ってしまいました(笑)。ラブストーリーが増えると、男性が相手役になってしまうのでもったいない感じがします。そこには今のWebの影響力が関係しているんでしょうね。ドラマもSNSでバズることを第一目的に考えて作っている感じがする作品もあります。そこで「キュン」となるシーンを作っていくことに懸命になる。でも、Twitterのトレンド1位になってもそれが作品の良さとイコールでは当然ないですし、バズることを目的にしていると作家もキャストもみんな苦しいような気がしてしまうんです。最近とくに、その傾向は強くなっているように思いますが、これからどうなるか……。

田幸:少し前までは作品の評価を図るものが視聴率だったのに、今はツイート数などに置きかわっていますよね。

木俣:視聴率では測れない、良質な作品がツイート数で分かるというのもあるにはあると思うんです。でも、トレンド1位になることを目的にして、ネットの視聴者が喜ぶことを第一優先にしてしまったら作品は破綻してしまう。ごくごく当たり前のことだと思いますが、ネットの声にも応えつつ、取り入れないなら取り入れないと割り切って、作品としての完成度を高めることが何より大事だと思います。

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