『その男、東京につき』はただの武道館までの回顧録ではない ラッパー・般若の“強さ”の源を痛感

『その男、東京につき』般若から受け取る情熱 

 東京生まれの東京育ちのラッパー、般若。日本のヒップホップを代表する一人である般若は、昨年1月、念願の武道館のワンマンライヴを成功させて、改めてシーンにおける存在感を発揮した。その武道館へと至るキャリアを振り返ったドキュメンタリーが『その男、東京につき』だ。ここにはひたすら我が道を進んできたひとりの男の人生が、力強い言葉と映像で刻み込まれている。

 まず、オープニングシーンが印象的だ。誰もいない日比谷野外音楽堂で、マイク一本持ってステージに立ってラップする般若。声援も拍手もないが般若のラップに熱がこもる。撮影されたのがいつかはわからないが、コロナのパンデミック以降なら、危機的な社会情勢の中でも自分は音楽をやり続けることを宣言しているようにも見える(今年、般若はコロナの影響で予定していたツアーを中止にした)。般若は2014年に日比谷野音で初めてのワンマンを、2016年に2度目のワンマンを行っているが、それは念願の武道館に向けての重要なステップだった。

 野音の無観客パフォーマンスの後、カメラは武道館のコンサートに車で向かう般若を捉える。そこで語られるのはラップを始めたきっかけだ。長渕剛に影響を受けた少年時代。音楽に目覚めた般若は、ギターではなくマイクを選んだ。その理由は、学校で隣のクラスの女の子がラップをやっていたのを目撃したからだ。般若はその女の子、ラッパーのRUMIに韻の踏み方を教えてもらい、彼女を通じて知り合ったDJのBAKUと3人で、ヒップホップグループとして活動をスタートさせた。「毎週練習をやるのが楽しかった」とBAKUは振り返るが、映画で紹介される当時のスナップ写真では、家の居間で3人が笑顔を浮かべて練習している。音楽をやるだけで楽しかった10代。しかし、ラップに対する情熱に火がついた般若は、そこからヒップホップにのめり込んでいく。

 当時、日本のヒップホップシーンを牽引するラッパーの一人だったZeebraにデモテープを送った般若。そのテープがきっかけで、Zeebraが出演していたラジオ番組に電話で生出演したときの生意気な音声が映画で紹介され、Zeebraがその時のエピソードを懐かしそうに振り返る。地元の暴走族の溜まり場に足を運んで自作のテープを聞かせていた般若は、やがて暴走族出身のヒップホップ集団、妄走族に加入。様々なライヴに乱入してはマイクを奪って名を上げていく。クラブにバイクで乗りつける妄走族は周りから怖がられる存在だったが、彼らに暴力的な意図はなく、ただライヴができる場所が欲しかった。そして、とにかく名前を売りたかった。しかし、その怖いもの知らずの功名心が仲間との間に溝を生んで、RUMIやBAKUは般若の元を離れることになる。当時を振り返って、「反省はしているけど後悔はしていない」と言う般若。この時期の経験が、後の活躍の基盤になったのだろう。やがて、妄走族からも独立してソロデビューすることに。波乱だらけの般若の青春時代は、日本のヒップホップシーンにおいても激動の時期だった。

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