遊川和彦はなぜ“無表情ヒロイン”を描き続ける? 『女王の教室』から『35歳の少女』までの系譜

遊川和彦はなぜ“無表情ヒロイン“を描く?

 阿久津真矢のようなダークヒロインを描く一方、純粋で正義感が強い故に周囲と衝突してしまうピュア系ロボットヒロインの物語も、遊川は多数描いている。

 近作では、高畑充希が主演を務めた『過保護のカホコ』(日本テレビ系)と『同期のサクラ』の2作がそうだ。『35歳の少女』の望美も、10歳の内面を抱えた35歳の大人として現れたピュア系ロボットヒロインだった。対して、阿久津真矢のような現実を突きつけるダークヒロインの役割は鈴木保奈美が演じる母親の時岡多恵が担っている。

 その意味で本作は、光と闇の遊川ヒロインが対決する物語になるかと当初は思われたのだが、望美に精神が肉体に追いつき、やがて身も心も35歳の大人の女性となる。そして、自分を取り巻く過酷な現実を理解するようになると、当初あった無垢な心も次第に失われていき、機械的な喋り方をするダークヒロイン化してしまう。

 『同期のサクラ』の最終話でも、北野サクラ(高畑充希)が副社長となった元上司の考え方に感化されて仕事をする中でダークヒロイン化する姿が描かれていたが、ピュア系ヒロインだったサクラや望美がダークヒロインに変わってしまう転倒は、AI(人工知能)がSNSのやりとりをディープラーニングした結果、差別的な思考を身に着けてしまうという事例を思わせるものがあり、どんなに優れた器でも取り込む知識や関わる人間によって、こうも変わってしまうのかと、哀しい気持ちにさせられる。

 同時に、最終話予告の望美を見て、第1話の望美が、短期間でここまで大人に変わったのかと驚かされた。これは遊川ヒロインでないと描けない成長と喪失の物語である。

 元々、遊川作品にはクラシカルな舞台劇のようなところがあり、各登場人物が記号的に設定されている。この徹底した記号性は、成長を描く上では足枷となりかねないものだが『35歳の少女』は望美の身体が大人のまま内面が変化していく物語にすることで、記号的なキャラクターだからこそ可能な成長ドラマとなっていた。

 使い古されたロボットヒロインによる作劇手法を、ここまで洗練させたのは、さすが本家と言うべきか。遊川の作家性もまた、時代に合わせてアップデートしている。

■成馬零一
76年生まれ。ライター、ドラマ評論家。ドラマ評を中心に雑誌、ウェブ等で幅広く執筆。単著に『TVドラマは、ジャニーズものだけ見ろ!』(宝島社新書)、『キャラクタードラマの誕生:テレビドラマを更新する6人の脚本家』(河出書房新社)がある。

■放送情報
『35歳の少女』
日本テレビ系にて、毎週土曜22:00~22:54放送
出演:柴咲コウ、坂口健太郎、橋本愛、田中哲司、富田靖子、竜星涼、鈴木保奈美、細田善彦、大友花恋
脚本:遊川和彦
チーフプロデューサー:池田健司
プロデューサー:大平太、諸田景子
演出:猪股隆一ほか
制作協力:AX-ON
製作著作:日本テレビ
(c)日本テレビ
公式サイト:https://www.ntv.co.jp/shojo35/
公式Twitter:@shojo35

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