『呪術廻戦』の魅力は“死の描写”にあり? TVアニメ放送に向けて注目ポイントを解説
『週刊少年ジャンプ』の人気マンガ『呪術廻戦』が、TVアニメ化した。2018年3月に連載を開始して、約2年半(前日譚も入れると2017年~)。「早い」や「ちょうどいいタイミング」という意見もあるだろうが、いちファンである筆者の心情としては「ついに…」だ。
今回は、アニメ放送開始を記念し、本作の魅力を「死の描写」という観点から考察・分析してきたい。なお、本稿におけるTVアニメ第1話の記述は、9月19日に先行配信された内容を
基にしている。
まずは、人気ぶりとともに、本作の基本情報をご紹介しよう。『呪術廻戦』は、10月2日発売のコミックス第13巻時点で、累計発行部数850万部を突破。今年の5月時点では450万部だったというから、わずか5ヶ月で発行部数が倍増しているわけだ。まさに、「勢いが止まらない」状態。今後、アニメ効果もあり、さらに売り上げを伸ばしていくことだろう。
ちなみに、2019年12月~2020年1月にかけて東京・渋谷(物語の舞台のひとつでもある)で行われた複製原画展は、連日盛況となった。また、人気俳優の中村倫也がTwitterで言及する(小説版も読んでいるなど、実はガチファン)など、着実に人気が波及している。
『呪術廻戦』は、一言で言うと「バトル要素が入ったダークファンタジー」だ。ジャンプ作品だと、古くは『HUNTER×HUNTER』から『鬼滅の刃』『チェンソーマン』、『約束のネバーランド』にもその要素はあり、近年主流となりつつあるジャンル。他誌まで広げれば『進撃の巨人』や『東京喰種トーキョーグール』も、ここに該当する作品といえよう。
本作は“呪い”をテーマにしており、「呪術師」と呼ばれる人間たちが、具現化した呪い(呪霊)と戦う姿を描く。運動能力抜群の高校生・虎杖悠仁は、先輩たちを呪いから守るために、恐るべき魔力を持つ呪いの王「両面宿儺」の封印されていた指を食べ、強力な能力を得る。だがその代償として、両面宿儺にいつ体を乗っ取られるかわからない状態になり、呪術師たちの駆除対象になってしまう。しかし、最強の呪術師・五条悟の計らいで、「両面宿儺のすべての指を取り込んでから死ぬ」という執行猶予を与えられ、彼が教鞭をとる呪術師の養成校・東京都立呪術高等専門学校に転校。個性豊かな学友たちと切磋琢磨し、成長していく――。これが、ざっくりしたあらすじとなる。
冒頭、本稿の主題を「死の描写」と述べたが、『呪術廻戦』は、主人公の“死”が最初からにおわされており、かなり攻めた設定といえるだろう(ちなみに、TVアニメ版では虎杖が死刑宣告されるシーンから始まり、より劇的な味付けがなされている)。この始まりからして、『呪術廻戦』が通常の少年マンガとは大きく異なる、異端のマンガであることが伝わってくる。
TVアニメ化・映画化もされた『青の祓魔師』でも、同様の「主人公が処刑対象」の設定は見られるものの、こちらは家族や兄弟というヒューマンな要素が先に立っており、処刑回避の可能性も残されている。しかし『呪術廻戦』の主人公・虎杖は、「今すぐ死ぬ」か「両面宿儺のすべての指を取り込んでから死ぬ」のどちらかしか選択肢がなく、最初から生存権を与えられていない。また、虎杖の性格も、「ちゃんとイカれてる」と劇中で評されるように、自らの死に対してわりと達観しており、悲壮感が伝わってこないのも新しい(反対に、罪なき市民の死には激しく動揺する。それは後述)。
このように、『呪術廻戦』は死生観というか、「死の描き方・捉え方」が独特だ。最序盤で虎杖の祖父が病死するシーンなど「人は死ぬもの。どう生きるかだ」というカラリとした思考が感じ取られるし、祖父が遺し、虎杖の行動原理になっていく「オマエは大勢に囲まれて死ね」も、そのような意識の表れといえるだろう。死というものが、人類がみな経験する当たり前のこと、として描かれる。
しかしそれはあくまで天寿を全うした場合で、呪霊たちによって殺される場合はまた別だ。主人公の虎杖の行動理念は、「人は死ぬ。だからこそ、正しく死んでほしい」というもので、そのため、人々の天命を全うさせまいとする呪霊たちに対しては激しく怒り、倒そうと立ち向かっていく。この「生かそう」ではなく「看取ろう」というような主人公の思考のプロセスは非常に珍しく、画期的といえるかもしれない。