横浜流星による想定外の化学変化? 『私たちはどうかしている』原作とは異なる味わい

 浜辺美波と横浜流星がW主演を務める『私たちはどうかしている』(日本テレビ系)が9月23日放送分から第2章として新たなスタートを切った。

 安藤なつみの同名漫画をドラマ化した同作では、老舗和菓子店・光月庵を舞台に、互いに初恋の相手ながら、とある事件をきっかけに「容疑者の娘」と「被害者の息子」として引き裂かれる。そんな2人が運命の再会を果たすも、素性を隠したまま結婚、再び悲しい別れを迎えるというのが、第1部での内容だった。

 このドラマ、主演2人が美男美女で、和菓子も和装も色鮮やかで美しい。そうした画的な美しさの一方で、ストーリー展開はかなりコテコテ・ドロドロの昼メロ的だし、登場人物たちの表と裏の顔、豹変ぶりのおかしさなど、何かとツッコミどころも多い。

 しかし、作品全体として不思議な味わいを醸し出しているのは、実はW主演の一方、横浜流星の存在ではないかと感じていた。もっと割り切って、振り切れて、ドロドロに描くことだってできるだろうに、どこか作品全体として昼メロ路線に完全に舵を切れない迷いを残している。その迷いこそが、作中で一人トーンが異なり、良い意味で浮いている横浜に見えるのだ。なぜなのか。

 殺人容疑をかけられたまま亡くなった母の無実を証明するべく、恨みを抱く高月家に素性を隠して乗り込んだものの、再会した椿(横浜流星)にどんどん惹かれていく七桜(浜辺美波)。素直で明るい見習い職人に見えて、実はとある事情から高月家に恨みを抱いていた城島裕介(高杉真宙)。この二人は裏の顔を持つ事情や、『賭ケグルイ』コンビという経歴もあって、並びが実にしっくりくる。また、椿の婚約者で、七桜に椿を奪われるが、諦めきれず、火事から身を挺して椿を守り、顔にケガを負う栞(岸井ゆきの)も、ここにきて昼メロ的な凄まじい食らいつきを見せている。

 岸井や高杉といった若手ではトップクラスの演技巧者に、なぜこんな役をあてがったのか不思議だったが、ハレとケの両面を演じ分けられることから、極端かつ珍妙なストーリー展開を下支えする意味があったのだろう。

 そして、「鬼」に見えていたものの、実は夫に一度も愛されず、裏切られ続けていた悲しみを背負う椿の母(観月ありさ)。嫁が息子ではない男性との間に作った椿に辛くあたる大旦那(佐野史郎)など、誰もがドロドロした恨みや執念を奥底に秘めている。

 そんな中、椿だけが、なぜか異なるタッチで描かれているように見えるのがどうにも不思議だった。例えるなら、他の人物は太い輪郭線のポップな作画なのに、彼だけが優しい線画に水彩のような淡い色味をのせているような「作画が違う」印象なのだ。ビジュアルは原作に近い。しかし、その表情や声が発する表現は、実に淡く、儚く、繊細だ。そこには、横浜流星という役者から漂う生真面目さや孤独感が大きく反映されている気がする。

 父を殺されたという思いから、さくら(後の七桜)の母に恨みを抱きつつ、母や祖父から愛情を受けることなく、孤独に生きてきた椿。初恋の相手でありながら、自分の父を殺した相手の娘であるという憎しみだけでなく、自分を一切認めようとしない祖父が「あの子に会いたい」とうなされ、和菓子職人としての才能を認めているのも、やはりさくらだ。「光月庵」の後継者になるために、ひたすら和菓子と向き合い、ひたむきに努力してきた彼から、自分の全てを奪っていく恐れのある存在でもある。

 ドラマの序盤では、家への反発心から、親が決めた婚約者との縁談を破談にし、初めて会ったばかりの七桜を結婚相手に決めるという、トンチキなドSぶりを発揮していた椿。しかし、そんな彼が七桜と向き合うとき、不器用な優しさや、抑えた中に滲み出てしまうテレや戸惑いが見えてくる。次第に七桜にだけ見せるようになる安らぎの表情が、七桜の正体を知ることにより、裏切られた悲しみと孤独によって再び曇っていく。

 自らが与えられた役割をきっちりこなし、ドロドロ・コテコテの芝居を見せる他の人物たちの中で、彼の感情だけが、等身大のリアルなものにうつる。だからこそ、視聴者の視点は、徐々に悲しみと孤独をたたえた椿に注がれるようになり、そんな彼がどんどん魅力的なヒロインのように見えてくる。これは原作とは異なるドラマならではの味わいだ。

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