『のだめカンタービレ』なぜ愛され続ける名作に? “才能”に説得力を与えた上野樹里の表現力
上野樹里と玉木宏の主演で2006年に放送された『のだめカンタービレ』(フジテレビ系)が、スペシャルドラマや映画化を経て、ドラマとしては6年ぶりに再放送され、話題となっている。
学園モノは高校を舞台に描く作品が多いなか、同作は、『親バカ青春白書』(日本テレビ系)と同様、大学を舞台として、ラブコメや友情などを描いた作品だ。しかし、時を経た今でも古びることなく、これほどまでに愛され続ける名作になりえたのはなぜなのか。
小出恵介、永山瑛太、水川あさみ、向井理らキャスティングによる魅力
原作が人気コミックであることは、実写化にあたって有利に働くとは限らない。むしろ原作ファンからの厳しい目が向けられる分、不利になることも多々ある。その点、『のだめ』はドラマから入って原作を読んだファンも多い。ドラマならではの大きな魅力は、キャスティングによる部分も大きいだろう。
玉木宏演じる「千秋先輩(千秋さま)」は、見た目も声も優雅で上品で美しく、それでいて高所恐怖症というビビりの愛らしい面を持っていたり、のだめを粗雑に扱いながらも、愛情と才能への羨望を抱いていたりと、非常に魅力的な人物像になっていた。
また、思わず唸らされたのは、オネエ言葉のアフロのますみちゃんを演じた小出恵介。強烈なキャラでありながら、ちっともわざとらしくないために、「アフロ+口ひげ」という謎めいた仕上がりが実体化することすら違和感がなかった。瑛太(現・永山瑛太)、水川あさみ、向井理など、オケの面々も魅力的だった。
序盤では唯一「ただの竹中直人じゃん」と気になってしまったミルヒーも、どんどんクセになっていき、最終的には彼の「のだ~めちゃ~ん」がこの作品を語る上で欠かせない音として耳の奥に刻まれている。
のだめの「才能」を感じさせる、上野樹里の表現力
しかし、何より、『のだめカンタービレ』が他の学園モノと大きく異なるのは、恋愛、友情、青春などを描きつつも、作品のど真ん中に位置する「音楽」、そして「才能」や「好きなことへの情熱」が描かれていることだろう。そして、その描き方に圧倒的説得力を持たせることができたことが大きいと思う。
ドラマや映画など、映像の中で「音楽」を題材に描くのは、非常に難しい。具体例を挙げるのは憚られるので、ここでは割愛するが、「天才」とされる人物が、ひとたび演奏したり、歌ったりすると、「え? これが???」と感じてしまい、作品に没入できなくなることは申し訳ないが、多々あるもの。
演奏や歌そのものは、プロの演奏家が吹き替えれば良いだけだと思う人もいるかもしれない。だが、吹き替えが明らかに別人の技術として浮いてしまっている作品は多いし、「演奏しているように見せる」練習量と技術的なつなぎの問題だけではない。その人物が生み出した音楽であると感じさせ、また、そこに確かな「才能」を信じさせるには、明らかに「他と違う異質さ」を醸しだせる資質が必須になってくる。
その点、上野樹里が演じるのだめは、誰が見ても、まさしく「天才」だった。
まず天才的だったのは、「擬音」の処理の仕方である。漫画からのアニメ化や実写化では、『北斗の拳』の「あべし」「たわば」や、『カイジ』の「ざわざわ」など、擬音をどう音声にするかが気になる点の一つであり、その処理に成功している作品は総じて作品自体の評価も高い気がする。
のだめの場合、度々発する「ぎゃぼー!」「ぷぎゃー!」といった奇声(叫び声)を、どう処理するのかが気がかりだったが、上野はそれをコミカルかつナチュラルに音声にした。原作からは想像できなかった音声が、上野が演じることによって、「ああ、こういう声だったんだ」と正解を見つけた気がした視聴者も多かったことだろう。
ときどき白目をむいたり、唇を突きだして、玉木宏演じる「千秋先輩」に迫ったりする姿も、漫画的なおかしさがありつつ、下品にならなければ、媚びも感じさせない。「天然キャラ」が実写化される場合、どこかに媚びやかわいさが出てしまったり、逆に「やりきろう」とする意欲が前に出すぎて下品で粗野になったりするケースがあるが、上野の場合は、そのどちらの軸にも傾かず、別次元からの答えを導き出した。原作ファンやドラマの視聴者の引き出しにはない別次元からのアプローチ、その表現力こそが「天才」を確信させるものだろう。
のだめの奏でる「音楽」はまた、やっぱり特別だ。集中すると、どんどん口が突きだしてくる変なクセも、音が空間に楽しく転がりだし、無限に広がっていくように感じる演出も。まるで映画『アマデウス』を観ているような高揚感すらあった。