“縛り”によってクリエイターの個性が爆発 コロナ禍を描いたオムニバス映画『緊急事態宣言』の魅力
『孤独な19時』
コロナ禍の今、目の前で起こる問題を解決することさえ困難であるにも関わらず、『孤独な19時』で我々はさらに悍ましい未来を見せつけられる。だがそこに共存するのは我々のルーツを感じさせる力強いパワーであり、本作は削ぎ落とされた世界の中で主人公が感じ取る“メッセージ”に素直に帰着することができる作品であった。
監督を務めるのは『愛のむきだし』(2009年)、『ヒミズ』(2012年)などで知られる園子温。「COVID-19収束後に現れたさらに狂暴なウイルスにより、自粛生活が果てしなく続く日本」を舞台に、緊急事態宣言下より遥かにストイックな自粛生活を強いられる世界を描く。そんな世界に生まれ、30年もの間一度も家の外に出ずに暮らしてきた主人公の音巳を斎藤工が演じる。
フィルム時代の古典映画作品を彷彿とさせるモノクロ映像で始まる音巳の家族の描写と、その家族亡き後の部屋をほぼそのまま残し音巳の部屋に使った本作は「時間」を意識した演出が印象的だ。さらに時の経過を強く打ち出す独特な美術は作品の世界の過酷さを物語る。
カレンダーの役割をする部屋の壁は今が2060年6月であることを示し、その数字の上に幾重にも塗り重ねられたばつ印は、この部屋の中で音巳が長い時間を過ごしてきたことの異様さを表した。黄ばんだ襖に記された家族からのメッセージや、幼い頃の音巳が描いたと思われる落書きなど、音巳と家族との歴史が刻まれる家屋は、音巳が家族への想いを強く募らせてきた背景を物語る。だが音巳が生きる世界はとてつもなく長い間、人々が「自粛」を続けてきたことで他者と出会う機会さえ許されず、次の世代を設けることも叶わない世界だった。
住宅街であるはずの音巳の近所にも、もう音巳以外の人間は暮らしていない。とあるきっかけで外に出た音巳が通りかかる景観には、こうした時の流れの辛辣さを見せ付けるように空き家に白骨死体が転がる様が映し出される。人間が長い間、外との交流を断ち「自粛」を強化することでどんな未来が生まれるのかが描かれ、当たり前のように部屋で過ごす音巳の淡々とした語りとは対照的に、美術や演出で音巳を取り巻く「苦難」や「問題」をあぶり出す。
本作の主人公を演じる斎藤は、家中に記録されてきた数々の思い出を眺める表情に幸せを滲ませ、一人芝居となる前半で作品の世界観をわかりやすく表現する。「コウノトリ」と呼ばれるドローンで食物が届けられる様や、毎日のポラロイドカメラでの自撮りを一枚ずつ積み重ねるように壁に貼り出すことは、さも特別なことではないように淡々と演じた。一方で外出をするという当たり前のはずの行為を、仰々しいほど“特別”なものだと表する。防護服を身に纏い、偶然出会ってしまった他人に向かって大きな声で「ソーシャルディスタンス!」と叫ぶ姿はもはや緊迫感を通り越して滑稽にも感じるが、こうした違和感の一つひとつが作品の世界観を構築していく。
ありえないと思わせる世界を生き抜く音巳という存在は、視点を変えれば過去から見たCOVID-19時代の我々の姿にも重なる。未来というものは常にありえないことが起こる可能性を孕んでおり、作品を通してそれに気づいてしまったときに我々はどうしようもない恐怖に支配される。だが園子温はこの恐怖の果てに一筋の光を描くことを厭わなかった。それに気づいたとき、我々は少しだけ肩の荷が降りるだろう。音巳が気付くことで伝えられるこの“メッセージ”は我々に生きることの目的や意義を見出させ、宙ぶらりんに「生活」だけを繰り返す世界から救ってくれる。園が描いた「緊急事態」を受けとめることで、改めて何が我々の心や身体を蝕んでいくのかに目が向く。本作はシビアなコロナ禍に、さらにストイックに切り込む作品の体を取りつつ、その実、人が生きていくために本当に大切なことを問うているように見えた。