必殺技やコスチュームがカギ? 『ヒロアカ』『スパイダーマン』『るろ剣』などにみるヒーロー論

 ここまで、『ヒロアカ』の基本設定、つまり“ヒーロー論”における海外作品との共通項を語ってきたが、ここからはより細部にわたって、本作の独自性をみていこう。ずばり「必殺技論」と「コスチューム論」だ。この2つはいずれも「ザ・日本」な特質であり、これをハリウッド的なヒーロー論にどう組み込んでいくか、その趣向を凝らした工夫の数々が『ヒロアカ』の面白さなのだ。

 まず「必殺技」だが、日本のヒーロー作品は、往々にして技名を叫ぶ。『ドラゴンボール』『ジョジョの奇妙な冒険』『ONE PIECE』『NARUTO ナルト』『BLEACH』……『銀魂』でネタにされるほど、当たり前とされている様式美だ。これは一説には武士の「名乗り」文化の影響があるとも言われているが、日本人にとってはごくごく当たり前のものといえる。

『僕のヒーローアカデミア THE MOVIE ~2人の英雄~』(c)2018「僕のヒーローアカデミアTHE MOVIE」製作委員会 (c)堀越耕平/集英社

 しかし、マーベル作品やDC作品を観ても、そのような描写はあまり見受けられない。では、世界観がそちらにも共通する『ヒロアカ』は、この問題をどう処理したのか? それは「名は体を表す」という思考だ。『ヒロアカ』では技名を叫ぶ方法論をとりつつも、そこに必然性を付加しようとしていく。

 まず、技名を叫ぶ前に、プロヒーロー養成学校に入った主人公たちが課されるのが「コードネーム(ヒーロー名)の考案」。原作の第45話「名前をつけてみようの会」では、プロのヒーローとして世間に認知されるためにも、ヒーロー名は必要不可欠、といった説明がなされる。

 ここに関しては、『スパイダーマン』等でも主人公が「ヒューマン・スパイダー」と名乗るも「スパイダーマン」にされる、といった一コマが描かれており、アメコミとも共通する部分といえよう。逆に言えば、日本のヒーロー作品では主人公が新しく「ヒーロー名」を背負う、という流れ自体が珍しい。

 『ヒロアカ』ではさらに、代々ヒーロー名を受け継ぐヒーロー一家の存在なども入れることで、“名前の重み”も描かれていく。この襲名のプロセスは、歌舞伎などの伝統芸能も彷彿させ、日本的なエッセンスも入っているといえよう(『NARUTO ナルト』でいうところの火影、のような意味合いだ)。

TVアニメ『僕のヒーローアカデミア』第4期 (c)堀越耕平/集英社・僕のヒーローアカデミア製作委員会

 このような前提があったうえで、「必殺技」をどう処理していくのか。原作の第100話「編め必殺技」では、「状況に左右されずに安定して力を発揮するために、得意の型・技を作ることが必要」というロジックが展開する。つまり、技名をつけることで、脳と身体に動きをインプットさせ、いつでも出せるようにするということ。これは、『青の祓魔師』でも言われていることだ。

 これはある種、剣道・剣術の考え方にも近いかもしれない。『るろうに剣心』でも、『鬼滅の刃』でも、師から弟子へと受け継がれてきた「型」や「流派」があり、その延長線上に「技」が存在する。それを叫ぶということは、己が何者であるかを宣言するものでもあるのだ。

 『ヒロアカ』でも、ヒーロー名と同様に「技は己を象徴するもの」とされ、周囲に認知されるためにも、ヒーローは必殺技を叫ぶのだ、と語られる。日本の伝統的な思考に、「ヒーローは民衆の憧れであり、ある種のタレント」という海外の感覚を足した結果、「叫ぶ“必然性”がある」という流れを構築しているのだ。

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