レネー・ゼルウィガーが体現する“女優”の光と闇 『ジュディ 虹の彼方に』渾身の演技に打ち震える
登場した瞬間から全身に漂う疲れきった空気とある種の絶望感。子どもたちのために良い母親になろうとしても薬や酒、若いパートナーに逃げてしまう自堕落な日々。観客の前に出るのが怖くて仕方がないのに、ステージ上でしか幸福を得られない女優としての性(さが)。
ちょっとおバカでコミカルに酔っぱらうブリジット・ジョーンズも、男たちを翻弄しているつもりで逆に利用されてしまうロキシー・ハートもそこには1ミクロンも存在しない。スクリーンの中にいるのは子役時代に大人たちから受けたさまざまなハラスメントと薬物使用のトラウマにつねに苦しみ、いつも不安定な精神状態でなんとか立っているひとりの“女優”だ。
この映画の見どころのひとつが、ロンドンのクラブでジュディが歌う場面だが、これも非常に素晴らしい。心の不安が観客の前に立つことでエネルギーに転化される様子や、思うように進められないステージに苛立ちが募り自爆していくさまが繊細な表現で紡がれていく。劇中の歌はもちろん、レネー自身が歌っているのだが、『シカゴ』ロキシー役の頃とは比べ物にならない進化を遂げていると感じた。特にオーラスで歌われるあの2曲はすべてにおいて圧巻だ。
人生に疲れ、60歳にも見える46歳の役をほぼ同年代のレネーが演じる凄味。若く見せるのではなく、人の何倍もの速さで心の歳を重ねてしまった女優の役を、しわや崩れたメイク、不健康に痩せた身体を武器にしてリアルに魅せるその覚悟。
それにしても“女優”という存在はなんて切なく孤独な存在なのだろう。『サンセット大通り』のノーマ、『イヴの総て』のマーゴ、『キャバレー』のサリー、そして本作のジュデイ……どんなに華やかでハッピーに見えても、彼女たちの真の幸せは舞台の上かカメラの前にしかない。
『ジュディ 虹の彼方に』は、ストーリーや仕掛け、派手な演出に注目する作品ではなく、ただレネー・ゼルウィガー渾身の演技を堪能し、胸を震わせる映画だ。かかとを鳴らせば願いが叶う、あの虹の向こうには夢の国があるーー。そんな“アメリカの清純な少女=ドロシー”が歩んだリアルな人生を見つめ、女優が作り出す光と闇とを心に強く焼き付けてほしい。
■上村由紀子
ドラマコラムニスト×演劇ライター。芸術系の大学を卒業後、FMラジオDJ、リポーター、TVナレーター等を経てライターに。TBS『マツコの知らない世界』(劇場の世界案内人)、『アカデミーナイトG』、テレビ東京『よじごじDays』、TBSラジオ『サキドリ!感激シアター』(舞台コメンテーター)等、メディア出演も多数。雑誌、Web媒体で俳優、クリエイターへのインタビュー取材を担当しながら、文春オンライン、産経デジタル等でエンタメ考察のコラムを連載中。ハワイ、沖縄、博多大吉が好き。Twitter:@makigami_p
■公開情報
『ジュディ 虹の彼方に』
全国公開中
出演:レネー・ゼルウィガー、フィン・ウィットロック、ルーファス・シーウェル、ジェシー・バックリー、マイケル・ガンボンほか
原作:『End Of The Rainbow』
監督:ルパート・グールド
脚本:トム・エッジ、ピーター・キルター
配給:ギャガ
(c)Pathe Productions Limited and British Broadcasting Corporation 2019
公式サイト:https://gaga.ne.jp/judy/