差別の連鎖を止めるためには 『ナイチンゲール』が見出す一筋の光

 陰惨な内容が続く本作が一筋の希望を見せるのはここからだ。同じ地獄を体験したクレアとビリーは、互いの苦しみを少しずつ理解していくことで、差別心や敵愾心が薄まり、共通の敵に対して、ともに闘う意志を固めていくのである。そして、互いの共感の象徴となるのが、ビリーのダンスであり、クレアの歌である。迫害を受けながらも、両者は互いの民族の文化が持つ誇りを目にして、耳で聴いて、自分たちは差別されるような存在ではないということを確認し合うのだ。

 クレアやビリーにとっての敵の本質とは何なのかも、本作は明らかにしていく。ホーキンスは軍の威光によって、部下すら人間扱いせず、自分の道具として利用していく。そんなホーキンスと同行することになった小さな少年は、彼の力に憧れ、自分もまた先住民や女性を差別するホーキンスのようになろうとする。既存の権力構造に組み込まれようとすることで、差別は受け継がれ、特定の層が優遇される社会構造が強化されていく。数々の悲劇は、このような仕組みのなかで生まれてきたのだ。

 そんな構造を打ち壊すことは、クレアのような女性にとっても、迫害を受けるビリーのような民族にとっても必要なことだ。別のカテゴリーにいる被差別者たちが力を合わせ“共闘する”ことで、差別的な環境に抗う、より大きな力が生まれる。

 現在の社会においても、差別者同士が差別し合い、多くの分断が生まれることで、不満の矛先が分散し、上位の差別者や権力者の地位が盤石なものとなっているという状況が見られるのは周知の通りである。では、クレアやビリーのように連帯し、差別の構造を打破していくためには、どうすればよいのか。

 それは、まず自分自身の差別感情と向き合い、乗り越えていくという意志や努力が必要なのではないか。そして自分を日々、より正しい位置へと修正していくことによって、より大きな差別と闘うための強い力が生み出されるはずなのだ。これが、クレアとビリーの苦難を描くことでたどり着いた、本作の答えであるように思えるのである。ケント監督は、19世紀オーストラリアの地獄と希望を映し出すことで、現在の世界の課題と進むべき理想的な方向を提示したのだ。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『ナイチンゲール』
3月20日(金)ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー
監督・脚本:ジェニファー・ケント
製作:クリスティーナ・セイトン、ブルーナ・パパンドレア
音楽:ジェド・カーゼル
出演:アイスリング・フランシオシ、サム・クラフリン、バイカリ・ガナンバルほか
配給:トランスフォーマー
2018年/オーストラリア・カナダ・アメリカ合作/英語/136分/原題:The NightingaleI/日本語字幕:額賀深雪
(c)2018 Nightingale Films Holdings Pty Ltd, Screen Australia, Screen Tasmania.
公式サイト:www.transformer.co.jp/m/Nightingale/
公式Twitter:@nightingale_JP

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