流し見が許されない朝ドラ『スカーレット』 通底する“映画的な哲学”を読み解く

『スカーレット』に通底する“映画的な哲学”

「ハチさん。川原ちゃんな、白髪見つけたんやて」

 文字に起こしてしまえばなんら特別なことのない台詞で、『スカーレット』(NHK総合)はどれだけ観る者の心を震わせれば気が済むのだろうか。第20週「もういちど家族に」の116回は、まるで映画だった。あるいは「人生」そのものであった。

 息子の武志(伊藤健太郎)が自立し、長年背負ってきた「家族」から解き放たれ、独りっきりになった喜美子(戸田恵梨香)。その喜美子が「ハチさん、ハチさん」と“みっともなく”泣き叫ぶのを目撃した小池アンリ(烏丸せつこ)は、彼女の「今」を八郎(松下洸平)に語る。その締めくくりの言葉に、八郎はたまらなく愛おしそうな表情を見せた。様々に去来する思いを秘めながら、アンリ、喜美子、八郎、信作(林遣都)、照子(大島優子)はダンスを踊る。

 終盤わずか5分間のシーンで、それぞれの人生の喜びと苦さ、過ぎた日々の思い出も悔恨もすべて抱えて生きていく人々の姿が、大きな波のように胸に迫ってくる。「奔放なおせっかいおばちゃん」と見せかけて、アンリが大切なところは胸にしまい、喜美子の近況だけをそっと語るに留めたところが、八郎と、そして視聴者の心を鷲掴みにした。「核心の部分は言葉にしない」。それはこのドラマの哲学でもあるのだろう。

  『スカーレット』は、言葉以外の“言語”がじつに豊潤なドラマだ。台詞やナレーションに頼りすぎず、表情や間、しぐさ、総合的な空気感で“語る”シーンがとても多い。物言わぬ物(アイテム)さえも雄弁に何かを語る。草間(佐藤隆太)がかつての妻の幸せを祈り離婚届を置いてきた夜に、喜美子と投げあい空を舞った飴玉が、今も視聴者の脳裏を離れない。喜美子が荒木荘を去ったあと、ちや子(水野美紀)が慣れない手つきで作って独り涙しながら食べたお茶漬けの塩っぱさが、画面越しに伝わってきた。風来坊のようなアンリが置いていったストールをチラチラ眺めやる喜美子の心に、「友情」という感覚が芽生え始めたのが嬉しかった。

 示唆的な画を作り出すカメラワークも印象に残る。このドラマでは話者の顔ではなく、聞いている者の表情にカメラがフォーカスすることが多い。おかげで視聴者はその場面の中に入り込んで、登場人物たちといっしょに「うん、うん」と話を聞いているような感覚を味わうことができる。そして彼らの心情に深く共感してしまう。

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