流し見が許されない朝ドラ『スカーレット』 通底する“映画的な哲学”を読み解く

『スカーレット』に通底する“映画的な哲学”

 そもそも、このドラマは台詞そのものがすべてを言い切らない。普通に生活している人間が発するものとして自然でシンプルな言葉を使いながらも、ひとつの言葉に何重もの意味が込められていることが多い。言葉尻だけではない「含み」を持たせて重層的に見せることで、より視聴者の感情や想像力を刺激する作りになっている……なんて書いてみたところで、こんな拙い解説がまったくの野暮に感じられるぐらいに、この作品は人々の心の機微を自然に、そして繊細に描いている。台詞を台詞として感じさせず、生きている人間が発する言葉として視聴者に届ける。それがどれだけ至難の業か。

 人物が言葉を発していないあいだの「間」や表情も見逃せない。たとえば、離れて暮らしてから5年ぶりに父親と再会したときのことを、武志は「2人でたぬき蕎麦や」「昔となんも変わらん」「よう話したで」と楽しげな口調で話していた。しかしそれから数年後、八郎の口から語られた「2人でたぬき蕎麦」は違っていた。

 実際は長い長い沈黙があったこと、胸がいっぱいで蕎麦が喉を通らない八郎が食べ終わるまで、武志がじっと待っていてくれたことが明かされた。そこで武志と八郎の互いを思う気持ち、そして武志の喜美子への思いやりに気づかされるのだが、凡百のドラマならここで「武志、そんなこと一言も……」とかなんとか喜美子に言わせたかもしれない。しかしこのドラマはそれをしない。喜美子はただ黙って八郎の話を聞いている。聞きながら、心が泣いている。「武志、そんなこと一言も……」は、視聴者の心中に浮かびあがる。武志と八郎、そして喜美子の思いが、大きな音を立てて観る者の胸に響く。

  『スカーレット』は見えないもの、容易には言語化できないものを、げにも豊かに表現するドラマだ。原来、人の思いや気持ちなど完全に理解できるものではないし、本人でさえ明文化できないことが多いではないか。この作品はそういった「言葉で断じることのできない何か」をとりわけ大切に扱っている。それだけに、流し見では情報が拾いきれない。ぱっと見の華やかさや分かりやすさを重視し、効率化が叫ばれるこの時代に、ブレることなく丁寧な映像表現を続ける制作陣の覚悟は並々ならぬものだろう。脚本・演出の出色さもさることながら、演者が血脈、来し方から、ふとした仕草に至るまで人物を深く深く理解し、なりきって「生きている」姿を毎朝目にできるのは、なんと幸せなことだろうか。

 劇中、喜美子が命をかけて作りあげた自然釉の焼き物が映し出されるたび、このドラマそのものに似ていると感じる。自然にまかせて焼き、自然にできた力強い造形。それがそこにただ「在る」だけで、果てしない物語をこちらに語りかけてくる。小手先の装飾でごまかさず、あるがままの姿で「在らせる」--それがいかに技術と入魂を要する表現であることか。『スカーレット』がもつ品性は、作り手が「芸術と人生の物語」を描くにあたり、こうした本質に立ち返った結果ではないかと思えてくるのだ。

■佐野華英
ライター/編集者/タンブリング・ダイス代表。エンタメ全般。『ぼくらが愛した「カーネーション」』(高文研)、『連続テレビ小説読本』(洋泉社)など、朝ドラ関連の本も多く手がける。

■放送情報
NHK連続テレビ小説『スカーレット』
2019年9月30日(月)〜2020年3月28日(土)放送予定(全150回)
出演:戸田恵梨香、富田靖子、大島優子、林遣都、松下洸平、黒島結菜、伊藤健太郎、福田麻由子、マギー、財前直見ほか
脚本:水橋文美江
制作統括:内田ゆき
プロデューサー:長谷知記、葛西勇也
演出:中島由貴、佐藤譲、鈴木航ほか
写真提供=NHK
公式サイト:https://www.nhk.or.jp/scarlet/

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