『リチャード・ジュエル』が誘う終わりのない問い イーストウッドの“悪意”を受け考えるべきこと

荻野洋一の『リチャード・ジュエル』評

 ワーナー社が「皮肉」という単語を使ったから、こちらも使わせていただくが、この事態は皮肉なことだ。真実をあらためて語り直すことで、傷ついた英雄の名誉回復を図って制作されたこの『リチャード・ジュエル』という映画が、リチャードを貶めることとなった記事の書き手に対して、「推測」によって似たような問題を引き起こしている。そしてそれはシナリオの不備というより、意図的に仕掛けられた挑発に思える。映画は女性記者への仕返しの意図を持ったのか。いや、ジェンダー問題がかつてよりも顕在化し、問題として語られるようになった昨今の傾向を睨みつつ、いくぶんか炎上的な手法もにじませたのかもしれない。

 だとするなら、本作を単なる美談として考えるわけにはいかない。映画はマスメディアや第三者によるリチャードへの仕打ちを告発し、彼の名誉を守ると同時に、別の人物(スクラッグス記者)には過剰な仕打ちをほどこしたことになる。FBIがリチャードには共犯がいると推測し、共犯者である親友とはホモセクシャルな関係だと推測していると知るやいなや、リチャードはそれまでの穏健さを失って烈火のごとく憤慨し、自分が同性愛者でないことを証明したいと息巻く。この憤慨ぶりがある意味で、彼にとって自由への突破口のような形を取ることも、見ていて不快だったと筆者は告白しなければならない。保守的なアメリカ南部の、20世紀末の白人男性の心象などそんなものだと言われればそれまでだが、この映画の採用するエピソードの選択は、かなり歪んではいまいか。

 ここまで書いてきて、筆者自身怯まざるを得ないのは、だいぶネガティヴなことを書きつらねたなという自覚のためである。というのも、筆者はこれらの少なくない瑕疵にもかかわらず、本作にかぎりなく感動している自分を発見してもいるからだ。それは筆者が男性だから、女性記者の描写に対して感覚が鈍いからだろうか。いや、それは違う。上記のように、これらの瑕疵は看過できないことは明白だ。

 それでもなお、画面が生の息づきで活気を帯びたり、せつない停滞を過ごしたりして、この苦しみに満ちた物語を縁取っていくのである。映画ファンとはかくも愚かで、現実に目をつぶり、美学に耽溺してしまう人種なのかと疑惑をみずからに突きつけつつ、我が子の潔白を訴えるスピーチをするキャシー・ベイツの目をーー、ドーナツ屋での弁護士とリチャードの安堵の抱擁をーー、マスコミの攻勢にさらされたリチャードがみぞおちを押さえ(心臓疾患の典型的な症状だ)、それでも一言も発しないしぐさの隠された苦しみをーー、私たちは運動と時間の芸術として、条理ある疑いのかなたに見逃さないようにしなければ。そうでなければ、映画が単なる社会考察と性格批評のサンプルに堕していく危険がある。ファシズムに魅せられたベルトルッチのイタリア映画を見るのと同じような両義性によって醒めた(冷めた)瞳と耳の絶え間ない取引の中で、現代映画が陥る瑕疵を認めつつ、そこに引っかからない襞をも見出していく。今のところ、筆者が『リチャード・ジュエル』から受けた得も言われぬ感動について語れるとしたら、こうした地点にとどまっている。

■荻野洋一
番組等映像作品の構成・演出業、映画評論家。WOWOW『リーガ・エスパニョーラ』の演出ほか、テレビ番組等を多数手がける。また、雑誌「NOBODY」「boidマガジン」「キネマ旬報」「映画芸術」「エスクァイア」「スタジオボイス」等に映画評論を寄稿。元「カイエ・デュ・シネマ・ジャポン」編集委員。1996年から2014年まで横浜国立大学で「映像論」講義を受け持った。現在、日本映画プロフェッショナル大賞の選考委員もつとめる。
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■公開情報
『リチャード・ジュエル』
全国公開中
出演:サム・ロックウェル、キャシー・ベイツ、ポール・ウォルター・ハウザー、オリヴィア・ワイルド、ジョン・ハム
監督・製作:クリント・イーストウッド
原作:マリー・ブレナー、バニティ・フェア 『American Nightmare: The Ballad of Richard Jewell』
脚本:ビリー・レイ
製作:ティム・ムーア、ジェシカ・マイヤー、ケビン・ミッシャー、レオナルド・ディカプリオ、ジェニファー・デイビソン、ジョナ・ヒル
配給:ワーナー・ブラザース映画
(c)2019 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED, WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC. AND RATPAC-DUNE ENTERTAINMENT LLC
公式サイト:richard-jewell.jp

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