『アド・アストラ』は“文系SF”と呼べる作品に 破滅的ヴィジョンと一筋の救いを同時に描く

 「星へ」の意味を持つラテン語をタイトルに、ブラッド・ピットが製作と主演を務めた『アド・アストラ』は、地球より太陽系の端まで直線的に航行していく、一見すると意外なほどにシンプルな宇宙探索アドベンチャーだ。

 SF作品といいながら、『地獄の黙示録』(1979年)の原案となったジョゼフ・コンラッドの小説『闇の奥』や、古代ギリシアの叙事詩『オデュッセイア』の設定を参考にしていると監督が述べているように、本作は『インターステラー』(2014年)のような最新の科学理論を作品に組み込んだものというよりは、古典的な文学作品に近い魅力を持った、いわば“文系SF”と呼べるようなものになっている。

 ここでは、そんな文系SFたる本作『アド・アストラ』の内容を振り返りながら、その裏に隠されている問題を考察していきたい。

 まず面白いと感じるのは、ブラッド・ピットが演じる宇宙飛行士ロイのキャラクターだ。何があっても安定した心拍数を維持できるという、驚異的に冷静な人物。危険の多いミッションのなかで突発的な事故に遭い、死が身近に迫っている状態でも、彼は落ち着き払って助かる方策を一つずつ試し、何度も危機を乗り越えていく。その性質は、たしかに宇宙飛行士に向いているといえるのだが、一方で危うさを感じるところもある。作中で「人間関係は演技」だと述懐しているように、彼は感情が極端に表に出ないという悩みを抱えているからこそ、命の危険に際して、頭だけを使う冷徹な態度でいられるのだ。

 ロイには10代の頃、宇宙の彼方に旅立って戻ってこなかった宇宙飛行士の父親がいた。ロイの背景が分かってくるにつれ、彼が感情を出せなくなった理由の一つに、多感な時期に“父親に置いていかれた”という喪失感があったことが暗示されていく。

 そんなロイに、軍上層部から「君の父親はおそらく生きている」という報せを受ける。地球から43億キロ離れた宇宙空間にいるという父親クリフォードが乗った宇宙船から、信号が届いたというのだ。しかもクリフォードが従事していたという計画は、太陽系を滅ぼしかねない危険性を持っているらしい。ロイは遠く離れた父親に会うというミッションを与えられ、彼方へと旅立つことになる。

 この設定は、やはり前述した文学作品を組み合わせたものとなっている。故郷へ長年の間帰ることのできない英雄の叙事詩『オデュッセイア』、組織から逸脱した人物を組織に属する人物が追跡し、同じ道程をたどることで精神の旅をする『闇の奥』を下敷きに、ロイの内面や、ロイにとっての父親との関係を、この長い航行へと投影していく。

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