『アド・アストラ』に見る名作映画・文学のエッセンス 丹念に描かれた「孤独とは何か」という問い

 監督は『地獄の黙示録』の原作であるジョセフ・コンラッドの小説『闇の奥』を参照したと述べているが(劇場用パンフレット内記述)、『闇の奥』もまた孤独にまつわる描写が印象的な小説だ。コンラッドは作品に孤独のイメージを強く書き入れた。「人はみな独りぽっちで生きている──夢を見る時に独りぽっちなのと同じように……」(『闇の奥』光文社古典新訳文庫、黒原敏行訳)。ロイは、他者との親密な関係が築けない原因が父親の行動にあることを察知しているが、同時に自分自身が父親と似た存在になりつつあることに気づき、怖れている。一方、ロイの父親は地球外生命体を発見する夢に取り憑かれているが、これはハーマン・メルヴィルの小説『白鯨』のエイハブ船長をイメージしていると監督はいう(劇場用パンフレット内記述)。見果てぬ夢としての白鯨が、地球外生命体に置き換えられる構図。こうした文学的参照の数々は、物語のイメージをより豊かにふくらませている。果たして主人公は、他者へ開かれた存在になるのか。物語後半は、こうしたロイの変化に焦点が当たる。

 誰もいない場所へ行きたい、孤独になりたいという想いは、程度の差こそあれ多くの人にとって共感できるものではないか。他者を避けるロイが、ひとりの部屋で過去の失敗を思い出しては悔やむ場面は、その沈痛な表情もあいまって実に物悲しい。パートナーの求める愛を与えられなかった、という悔恨。ロイは宇宙空間で任務に就いている瞬間にのみ生きる実感を得られる男であり、仕事にのめり込む以外に手立てがない。宇宙船を操作し、味のしなさそうな宇宙食を飲み込み、無重量の空間で浮かびながら眠るロイ。孤独感を表現する手段として、SFのフォーマットはこれ以上なく効果的である。地球から何億キロも離れた宇宙空間で、ひとり黙々と移動を続ける宇宙飛行士ほどに孤独な存在はいないだろう。「俺たちはあまりにも遠くまで来てしまい、普通の世界を憶い出せなくなっていた」(『闇の奥』)。こうして主人公は太陽系の端へとたどり着き、父親探しを行うのである。

 考えてみれば、映画館の暗闇に身をひそめ、2時間のあいだじっとスクリーンを眺めるという行為もどこか孤独な営みであり、他者を寄せつけない部分がある。映画を愛する者は束の間の孤独を求めているのだと、あらためて思う。孤独がもたらす、なぐさめと痛みを同時に描いた『アド・アストラ』を映画館で見ながら、多くの観客が「これは私自身にまつわる物語だ」と感じたはずである。また、私生活でアルコール中毒に苦しみ、離婚を経験したブラッド・ピットの表情に、単なる物語の枠を超えた説得力を感じたことも事実である。この役を演じた彼自身の痛みはどのようなものだったのか、ふと想像してしまう。壮大なSFでありながら、人びとの内省を描き出す繊細さを持った美しいフィルムに、終始圧倒された123分であった。

■伊藤聡
海外文学批評、映画批評を中心に執筆。cakesにて映画評を連載中。著書『生きる技術は名作に学べ』(ソフトバンク新書)。

■公開情報
『アド・アストラ』
全国公開中
監督:ジェームズ・グレイ
製作:ブラッド・ピットほか
脚本:ジェームズ・グレイ&イーサン・グロス
出演:ブラッド・ピット、トミー・リー・ジョーンズ、ルース・ネッガ、リヴ・タイラー、ドナルド・サザーランド
配給:20世紀フォックス映画
(c)2019 Twentieth Century Fox Film Corporation
公式サイト:http://www.foxmovies-jp.com/adastra/index.html

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