『アド・アストラ』に見る名作映画・文学のエッセンス 丹念に描かれた「孤独とは何か」という問い

 ブラッド・ピット主演最新作『アド・アストラ』は、『2001年宇宙の旅』('68)や『地獄の黙示録』('79)といった名作映画のエッセンスを受け継ぎつつ、現代的な要素をつけ加えて構成されたSF作品だ。撮影や美術の完成度が非常に高く、宇宙空間の魅惑と恐怖をパワフルに擬似体験させてくれる。物語の舞台は近未来。地球では、海王星から飛来する電気嵐(サージ)が原因で、火災や飛行機の墜落などの被害が多発していた。この電気嵐の発生には、主人公の宇宙飛行士ロイ(ブラッド・ピット)の父親、クリフォード(トミー・リー・ジョーンズ)が関与しているのではないかと疑われている。かつて、宇宙探査の途中で死亡したと思われていた父親が、30年ものあいだ太陽系の果てで生き延びていたと知ったロイは、宇宙船に乗り込み海王星を目指し出発した。監督は、『アンダーカヴァー』('07)『エヴァの告白』('13)などで知られるジェームズ・グレイ。ブラッド・ピットは、かねてからジェームズ・グレイの才能を高く認めており、今回は念願のタッグとなった。『アド・アストラ』は、彼らふたりの才能が相乗効果をもたらす、見応えのある作品に仕上がっている。

 本作は、SFのフォーマットを通して「孤独とは何か」をたんねんに描いたフィルムである。主人公ロイはきわめて優秀なエリートパイロットであり、いかなる事態にあっても冷静沈着、確実に任務を遂行する能力を備えていた。しかし彼は同時に、感情の喪失に陥っている。どのようなできごとにも心が動かず、人間らしい感情を持てない苦しみを抱えているのだ。ロイは孤独な主人公であり、壊れた心をひきずりながら新たな任務に就かなければならない。この痛々しい状況を演じたブラッド・ピットの表情は真に迫る。こうしたロイの孤独と虚無を強調する設定のひとつとして、パイロットの心理状態が機械装置でテストされ、任務遂行可能かどうかを査定される場面が幾度も描かれるのは印象的だ。彼が度重なる心理テストに合格し続け、優秀だと評価されていたのは、そもそも感情が機能しておらず、ある種の無感覚に陥っていたためではないか。

 監督は主人公の性格について「何年も前に父に捨てられたことが原因で、彼はちょうど父がそうだったように、人と親密な関係を築くことができないのです」「彼は単に孤独というだけではなく、孤独でいたがる人です」と述べている(劇場用パンフレット内記述)。ロイにとって父の存在はトラウマであり、一度は全てを忘れようとしたが、そのトラウマは、宇宙の果てのような場所へまで出かけて本気で向き合わなければ乗り越えられない障壁だと気づかされる。自分自身の過去と向き合うことがどれだけ難しい仕事か、数十億キロの旅の困難に置き換えられる暗喩も秀逸だ。主人公が遠い目的地へと進んでいき、その奥地でまがまがしい存在に出会う展開は、まさに『地獄の黙示録』そのものとなる。また月面上で繰り広げられる暴発的なアクションは、どこか西部劇めいたスリルを感じさせる(劇中、略奪が横行する月面の紛争地帯は「まるで西部開拓時代です」と説明される)。これまでのフィルモグラフィでも、アメリカ映画のエッセンスを大事にしてきたジェームズ・グレイならではの演出だ。

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