世界最大級のアニメの祭典「アヌシー映画祭」、業界への影響力は? 日本アニメの評価を振り返る

 世界最大のアニメーション映画祭、アヌシー国際アニメーション映画祭が先日開催された。年を重ねるごとにその存在感を大きくしている同映画祭だが、アニメ大国である日本においても年々報道される機会は増えているように思う。

 42回目を迎えた今年は、ゲスト国に日本が選ばれたこともあって、例年以上に日本からの注目度も、日本アニメへの注目度も高かったことだろう。とはいえ、カンヌ国際映画祭や米国アカデミー賞ほどにはまだ知られていない存在かもしれない、そこで、本稿では、アヌシー国際アニメーション映画祭はどんな映画祭なのかを紹介してみたい。

本年度アヌシー国際アニメーション映画祭にて世界初上映となった『HUMAN LOST 人間失格』(c)2019 HUMAN LOST Project

カンヌから独立して生まれた短編専門の映画祭だった

 アヌシー国際アニメーション映画祭は、1960年にカンヌ国際映画祭のアニメーション部門から独立する形で誕生した。

 誕生当初は隔年開催であったが、1997年以降は毎年開催されるようになった。当初は短編アニメーションのみを対象とした映画祭であった。これはカンヌ国際映画祭が商業性よりも芸術性に重きを置いていたこともあり、長編アニメーションよりも短編の方が作家性を重視した、実験的な作品が数多く存在したためでもあるだろう。

 長編作品に門戸が開かれたのは1985年からだ。同年より国際見本市(MIFA)も同時に開催されるようになり、映画祭の商業化への道を歩みだしている。商業主義的作品とは異なる価値観を守る役目も映画祭の重要な役割であるから、こうした方向転換は当初からいろいろと議論になったようだが、マーケット開催など市場にも目を配る姿勢が今日のアヌシー国際アニメーション映画祭の隆盛に大きく貢献していることは間違いない。

 キネマ旬報(1985年9月号、P100)によると、1985年の同映画祭の来場者は述べ3万人だったそうだが、2017年には11万人にまで増加している(VIPO調べ:https://www.vipo.or.jp/u/ANNECY.pdf)。また、商業化の拡大を象徴するかのように、見本市の来場者数は毎年増加しており、見本市参加国も世界中から70カ国近くから参加する巨大マーケットに成長している。

 かつてはアヌシーを含む、ザグレブ、広島、オタワの4つの映画祭が四大アニメーション映画祭と呼ばれていたが、現在では、規模の面ではアヌシーは他の追随を許さないほどに巨大化し、土居伸彰によれば(https://wired.jp/series/world-animation-atlas/06_annecy/)、現在はアヌシーの一強状態となっている。

 それでも、映画祭は芸術性を評価する場であるという立場を崩しているわけではない。同映画祭の歴史において、映画祭の顔を担ってきたのは実験的・芸術的な作品が多く集まる短編映画の部門である。日本のアニメ界の二大巨頭、宮崎駿と高畑勲の作品も同映画祭の長編部門の最高賞を受賞したことがあるが、当時日本テレビの映画事業部の奥田誠治氏は、「グランプリ獲得、おめでとうございます」と高畑勲に述べたところ、「アヌシーの最高賞は短編に贈られるんですよ。僕らがもらったのは、あくまで長編部門のグランプリです」と怒られたことがあると述懐している(熱風 2015年8月号、P105)。

 しかしながら、近年では作家性の視点からみても、非常に優れた長編アニメーション作品が数多く製作されており、アヌシーでも数多くの傑作が上映されている。上述の高畑勲の認識通り、元々の最高賞は短編に贈られるものと考えられていたが、今年から長編部門にコントラシャン部門という新しい部門が設立されたことを考えると、カンヌなどと同様、今後は長編作品が映画祭の顔となっていくのだろう。

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