菊地成孔の映画関税撤廃 第11回
菊地成孔の『月極オトコトモダチ』評:パロディぎりぎりの引用は罠だ。とんでもないオチが音楽恋愛映画に(笑)
では始めます(ネタバレアウトの方は他のページへ)
登場人物の固有名詞は全て廃して書く。主要なそれは3人であり、主人公の女性(WEBマガジン編集者→監督の本業である、アパレル業界のPRである事実が反映していると思われる)、そのルームシェアの相手である女友達(アマチュアミュージシャン→女性のSSW=シンガー・ソングライター)、そして「レンタル男友達」業を営む男性。全員が30代前半と解釈したが、20代後半かもしれない。具体的な説明はほぼない。
主人公が出社すると、そこはPCが並び、開放的でおしゃれな感じのオフィス、まるでテレビドラマに出てくるそれのようである。開始早々、ジャンゴ・ラインハルト型の、ジプシー・スイング、、、とまでいうと大げさだが、誰でも聞いたことがある、陽気な疑似ジャズ(20年代スタイル)が流れてくる。
これは、誰がなんと言おうと、制作した入江陽氏本人が否定しようと、2013年の傑作TVドラマ『最高の離婚』(フジテレビ)のパロディである。ちょっとひねったラブコメで、主人公が会社勤めをしている限り、2ビートの擬似スイングジャズが流れてきたら、それは『最高の離婚』なのである。ネット内でご確認いただきたい。
『最高の離婚』の音楽担当者、瀬川英史は筆者と同年輩のベテラン劇伴作家で、どんなジャンルの音楽も適切に再現できるオーヴァーグラウンダーの能力を有している、しかし、驚異的な歌唱力を持ちながら、作曲とトラックは異形の、かなり危なっかしい斬新さに彩られている男性SSW、入江陽のそれは、コードも適当、リズムも危なっかしく、つまりパンキッシュな「なんちゃって」の魅力に溢れており、入江の、歌唱力だけ飛び抜けた、本質的なアマチュア性を示している。
なんちゃってな宅録スイングジャズが、『最高の離婚』のパロディとして冒頭から観客を引き込む。この指摘は筆者の専門職的私的と言えるかも知れない。
筆者であらずとも、誰だってわかる事が作品全体の設定を律している。主人公のOL(徳永えり演。脚本がしっかりしているラブコメの主役が、それ自身の高い演技力と魅力で、作品を脚本以上に引き上げてしまう典型)は、ふとしたことから「契約で男友達になる」という仕事をしている男性(橋本淳演。10年代本格デビューの若手男優の中でもブライテストニューカマーと呼んで差し支えない高い魅力)と出会い、早速契約関係になる(契約内容は契約プランのひとつである月極)。
でもこれって
『逃げ恥』のパロディじゃないの?と思わない者はいないだろう。恋人や夫婦を、擬似的な契約関係にしてしまおうという発想。そしてそれによってビジネスライクに手に入れた恋人や配偶者、異性の友人等々が、ビジネス遂行中に、本気になってしまったら?というのは、不勉強な筆者が不勉強なだけで、実は連綿と続く歴史あるジャンルなのかもしれない(「<ローマの休日>がその遠い遠い始祖だ」とかさ。例えばね)。
しかし、「夫婦を超えてゆけ」という星野源の名フレーズを産んだ、「夫婦や恋人って、単に契約関係なのでは?」という、原理的に不可避な問題提起に対して、「実際にそれを奇妙な副業として営んでいる者と、その契約者」という構図の、最新にして最高傑作が『逃げ恥』であることに、少なくとも日本国民である限りは異論はないだろう。
2013年のフジは、今や名匠の位置にある脚本家、坂元裕二のオリジナル脚本で、2016年のTBSは海野つなみの人気漫画(挿話も良いところだが、この名前で連載は2012年から始まっている。何かのゴッドアングルであろう)を女性脚本家界のホープであった野木亜紀子を、4番打者に降格させたが、両作とも、婚姻や恋愛という関係性の社会契約の側面と、依存や転移としての純愛の側面との原理的な葛藤をテクニカルに描いて、どちらも主人公を演じる俳優の、画角を超えた溢れる魅力と、音楽の大きな助力により、現代ラブコメのクラシックスになったと言っても過言ではない。
『逃げるは恥だが役に立つ』の設定に、『最高の離婚』の音楽が流れる。これはダブルパロディである。ここまで極端にやってしまったら、結果は2つしかない、パロディ遊びに萌え淫しただけの、つまり甘え腐った駄作になるか、大いなる覚悟と知性によって、リスクを背負った上で、本家に並ぶか超えるかする力作や傑作になる可能性である(そもそも『逃げ恥』自体が、あらゆるジャンルからのパロディとオマージュの塊である)。本作は後者である。大傑作とは言わないが、知的に、情熱的にリスクヘッジをして余りある結果を出している。