『ある少年の告白』が描く深刻な問題と示される希望 ジョエル・エドガートン監督の作風から探る
人間性は誰にも矯正できない
さて、アメリカの人々を驚かせた“プログラム”とは何なのだろうか。それは、同性愛など性的指向におけるジェンダー・アイデンティティを持つ人々を、“矯正治療”と称して異性愛者へと変えるというものだ。性的指向を第三者の手によって変化させるということ自体にも倫理的な疑問があるが、その“治療”の内容の多くは、専門家によって、非科学的であるだけでなく深刻なトラウマをもたらすものだということが指摘されている。
2014年、プログラム経験者に17歳の自殺者が出たことを受け、当時のオバマ大統領が“矯正治療”をやめるように声明を発表し、アメリカの一部の州でこれを禁じる法律が成立したが、現在も34の州では法律が整備されず、これまでに70万人の人々がこのプログラムを経験したという。
主人公である大学生のジャレッドは、アメリカの田舎町で、父親が牧師を務める家庭に育つ。父親・マーシャル(ラッセル・クロウ)は、ある出来事から、ジャレッドに同性愛者の傾向があると知り、教会関係者が運営する矯正治療を受けるように勧める。母親・ナンシー(ニコール・キッドマン)の運転する車に乗り込み、遠方にある施設へとたどり着くと、ジャレッドは「治療内容を口外しないこと」というルールに同意させられる。そこには同世代の参加者が何人も“治療”を受けていた。その内容は、唖然としてしまうくらいに、あまりに粗雑で稚拙なものだった。
プログラムの実態を詳しく知らないとはいえ、親たちが、わざわざそんな施設へ我が子を送りこむのはなぜなのか。本作が示すのは、アメリカ社会がいまも引きずり続けている、保守的な考え方である。性的指向への多様的な見方については、以前よりも浸透してきているとはいえ、まだまだ理解が進んでいない状況だ。性的指向に限らず、保守的な社会において“普通”の枠から外れてしまうことは、差別や迫害を受ける危険すらある。そんな環境において、息子が“普通”の幸せを手にしてほしいという親の愛情によって、その指向を治療するべきだという考えが生まれてしまうのだ。
閉鎖空間の人間ドラマを演じる俳優たち
だが、そんな矯正を強いることは、あまりに大きな心理的負担を与えることになってしまう。自分の指向に悩み、矯正に応じたジャレッドだったが、その治療内容があまりに一方的で、人権を蹂躙するものだということを理解していく。ジョエル・エドガートンが演じる牧師は、ジャレッドたちの人間性を否定し、彼ら教会にとって異常だと考える行為すべてを“罪”だと決めつけ、連日にわたって責め続ける。
ロックバンド「レッド・ホット・チリ・ペッパーズ」のメンバーであるフリーが演じるのは、元犯罪者の施設職員だ。彼はそのコワモテの外見と態度で威嚇し、さらには差別的言動によってプログラム参加者に恐怖を与え、心を傷つけていく。たとえ参加者が“矯正”を望んでいたとしても、こんなおそろしい人物に接する必要はないはずだ。その様子は、一部皮肉めいたコメディーのようにも感じてしまう。
世界的なYouTuberとしても知られる、シンガー・ソングライターのトロイ・シヴァンが演じる参加者は、施設のなかで暴力的な処置を回避するためには、参加者自身もこの茶番のような“喜劇”を演じざるを得ないということを、ジャレッドにアドバイスする。そんな環境に閉じ込められるということが、最悪の“悲劇”だといえるだろう。