『ショーン・オブ・ザ・デッド』元祖“伏線回収ゾンビコメディ”の魅力とは? E・ライト監督の映画愛

 “ゾンビ映画あるある”に滲み出る監督のオタク性

 そんな彼は本作で、先述のような尊敬する映画へのオマージュにとどまらず、様々な“ゾンビ映画あるある”に対して自分なりの答えを出しています。例えば、エドがゾンビのことを「ゾンビ」って言うのに対して、ショーンが「ゾンビっていうのはやめろよ、滑稽だろ」というシーンがあります。これなんか、まさに監督自身の意見ですよね(笑)。

 また、不仲だったやつが死に際に「本当は愛していたんだ」と赦しを請うという“あるある”も登場。加えて印象的なのは、ショーンたちがリズや母を救出してパブに向かう道中のシーンです。彼らは静かに移動しようとしているんですが、とにかく常に誰かの携帯が鳴り響いていたり、車のアラーム音が鳴っていたりと騒がしいのです。他のゾンビ映画を観ているとたまに、緊迫感があるシーンは凄く“静か”なんです。

 でも、確かにライト監督の通りで、そんな状況下にあったら、誰かが安否確認のために携帯を鳴らしまくったり、事故が多発していて街中は騒がしいはずなんです。こういうフィクションの中でリアリティを追求する姿勢も、ライト監督のオタク気質というか、映画愛を感じさせられます。最高ですよね、彼。

 しっかりしたゾンビ映画であるわけ

 『ショーン・オブ・ザ・デッド』が本当によくできているな、と思うのはもちろんキャラクターの魅力もそうなのですが、しっかりとしたゾンビ映画をやっているからなんです。というのも、本作ではイギリスに対する、イギリス風ブラックジョークがてんこ盛り。例えば、オープニングコールが出た時に街中を歩く人がゾンビのような歩き方をしたり、その後もショーンが出勤中に乗っているバスの中にいる人が、既にゾンビのように無気力だったり……。映画の中で働きに行く人=ゾンビ、のような構図になっているのです。

 さらに、もう一つ大きな点を挙げると「誰も気にしない」ことです。映画前編では、テレビのニュースや新聞というあらゆるメディアで“異変”を訴えています。それだけでなく、街中では人が虚ろな状態で鳥を食べようとしたり、倒れたりしている。

 しかし、それらをショーンが見ようとするといつも邪魔が入るんです。これは、彼が流されやすい人間であることを表していると同時に、周りに対する無関心さを風刺しているのです。後者に関しては、彼のみならず国民全体が、というように感じます。何故なら、リズもそんな大事が起きているのにずっとディナーデートのことばかり考えていたわけですから。

 この演出の最たるものは、ショーンが昔の友達イヴォンヌと再会した時です。彼らが近況を話している背後では、救急車がやってくるなど異常な光景が広がっている。それでも、彼らは一切それに気を取られていないわけです。終いには、ショーン含む登場人物たちが遂にゾンビと対面したにも関わらず「超酔っ払ってる」「ヤク中に噛まれただけだ」と、“こういう光景はいつも通りだ”というかのようにお気楽でいる始末。どんだけ普段からヤバいんだよ、イギリス! と思わず突っ込んでしまいます。

 ライト監督が敬愛するロメロが資本主義を意識していたように、良きゾンビ映画にはいつも風刺的要素があります。本作もそういった文脈で、単なるパロディコメディに止まらない傑作なのです。

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