【ネタバレあり】『キャプテン・マーベル』はなぜ分かりやすい直球のヒーロー映画になったのか?

 本作では、そんな卑劣な男を象徴する悪役が、キャプテン・マーベルによって、文字通り彼方までぶっ飛ばされる。社会のなかで力を発揮しようとする女性にとっての最大の敵は、あの手この手で彼女たちの可能性を抑えつけ、不満の矛先を違う方向へ誘導しようとする男性、そして男性優位の社会だ。そこで勝負することは、本作で述べられたように、「縛られながら戦う」ということと同義である。

 いままでヴァースは、呪縛を乗り越えて戦ってきた。だが記憶喪失になることで、そのことを一時忘れていただけなのだ。強大なパワーを得て、あらためてそのことに気づいた彼女は、覚醒したキャプテン・マーベルとして、いままでマーベル・スタジオ映画で活躍したヒーローのなかでも、最強の力を発揮する。あの超絶な怪力を誇る超人ハルクよりも、神の雷で他を圧倒するマイティ・ソーよりも強い。そんな素晴らしい可能性が、彼女の内に隠されていたのだ。

 そんなキャプテン・マーベルが活躍する、ヒロインではない、純粋な女性のヒーロー映画。こんな映画が、いままで作られるべきではなかったのか。内なる可能性を最大限に発揮し、宇宙へと颯爽と飛び去っていく彼女の姿を見つめ憧れる一人の少女は、女性の観客を代表する存在として描かれている。

 普通にオリジンが描かれ、普通に敵を倒す。たしかに本作の内容はきわめてオーソドックスだ。しかし、添え物でもサポート役でもない、そして大きなひねりもない、こんな分かりやすい直球のヒーロー映画だからこそ、本作は女性の映画として輝く。『キャプテン・マーベル』は、そのような意味から、“普通”であり、“最高”なのだ。

 マーベル・スタジオでは、マーベル初のアジア系ヒーロー“シャン・チー”映画化企画の制作も進んでいるという。先に公開されている、アフリカ系のヒーロー映画『ブラックパンサー』も同様、既存の文化に根付いた偏見の壁を、次々に壊していくマーベルの取り組みを、これからも楽しみにしていきたい。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『キャプテン・マーベル』
全国公開中
監督:アンナ・ボーデン、ライアン・フレック
製作:ケヴィン・ファイギ
出演:ブリー・ラーソン、ジュード・ロウ、サミュエル・L・ジャクソン、クラーク・グレッグ
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
(c)Marvel Studios 2019
公式サイト:https://marvel.disney.co.jp/movie/captain-marvel.html

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