チャゼル×ゴズリングが繋いだ“月とキッチン” 『ファースト・マン』深い悲しみと向き合う物語に

深い悲しみと向き合った男の物語『ファースト・マン』

 そして、アームストロングの感情を引き出すための重要な役割を担っているのが妻のジャネットだ。アームストロングが月だとしたらジャネットは太陽。家庭をきりもりしながら、アームストロングをしっかり支える。そんなジャネットの感情が爆発するシーンは、クレア・フォイの見せ場のひとつだ。アームストロングが月へ飛び立つ日が迫るなか、それがどれだけ危険なことなのかを子どもたちに直接説明してほしい、とジャネットはニールに迫る。愛する人を、子ども達の父親を失うかもしれない。そんな恐怖が彼女を突き動かす、エモーショナルで緊張感に満ちたシーンだ。

 それにしても、少女の死から始まる本作には、つねに死の影が見え隠れしている。ニールの仲間達は次々と訓練中に事故で死亡。アポロ内部で火災が発生して、乗組員3人が座席に固定されたまま焼死する事件を描いたシークエンスは、ヘタなホラーよりも恐ろしい。アームストロング自身もドッキング訓練で事故が発生して、死の一歩手前で生還する。映画を貫く張りつめたような空気は、アームストロングの気持ちを反映しているかのようだ。そんなアームストロングがついに月面に降り立つシーンでも、物語がドラマティックに盛り上がることはなく、そこにあるのは別の種類の感動だ。

 映画は16mm、35mm、IMAXの3種類のフィルムで撮影されていて、家庭やロケット内のプライベートな空間は16mmの映像を使用しているが、月面のシーンは細部までクリアに見えるIMAXを使用。草花や生き物の気配がまったくない、岩だらけの月面は死の世界のようだ。そんななか、アームストロングは亡くなったカレンのことを思い出すのだが、カレンの映像は16mmで温かな色彩に彩られている。そして、アームストロングは、地球から持って来たカレンの遺品のブレスレットを静かに月面に置く。数々の死と向き合ってきた彼が、その悲しみに自分なりに折り合いをつけたような美しくも切ないシーンだ。アメリカ本国では、アームストロングが月面にアメリカ国旗を立てるシーンがなかったことで批判を浴びたが、国旗ではなく娘のブレスレットを描いたことが、この物語の大切なところであり、チャゼルとライアンが目指した「月とキッチン」の融合なのだろう。『ファースト・マン』はタフな英雄の物語ではなく、深い悲しみと命懸けで向き合った男の再生の物語なのだ。

■村尾泰郎
音楽と映画に関する文筆家。『ミュージック・マガジン』『CDジャーナル』『CULÉL』『OCEANS』などの雑誌や、映画のパンフレットなどで幅広く執筆中。

■公開情報
『ファースト・マン』
全国公開中
監督:デイミアン・チャゼル
出演:ライアン・ゴズリング、クレア・フォイほか
脚本:ジョシュ・シンガー
原作:『ファーストマン:ニール・アームストロングの人生』ジェイムズ・R・ハンセン著
配給:東宝東和
(c)Universal Pictures and DreamWorks Pictures (c)2018 Universal Studios. ALL RIGHTS RESERVED.
公式サイト:https://firstman.jp/

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