『少女邂逅』『志乃ちゃんは~』『カランコエの花』……拡大する“ガール・ミーツ・ガール”映画

“ガール・ミーツ・ガール”映画の台頭

『カランコエの花』

 本作の公開日は、『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』と同日だった。互いに共鳴し合うこの3作品がほとんど同時期に公開されていたのは果たして偶然だろうか。中川駿監督による39分の短編映画『カランコエの花』は、当初、新宿K’s cinemaにて1週間限定ロードショーだった予定が、SNSなどの口コミによって大幅に上映館を拡大し、現在もまだ各地で上映が控えている状況だ。

『カランコエの花』(c)2018中川組

 とある高校のクラスで唐突に「LGBTについて」の授業が実施される物語の冒頭。他のクラスではその授業が行われていなかったことで、ひとりの男子学生が、「うちのクラスにいるんじゃないか?」と疑問を浮かべ、クラス内に波紋が広がっていく。

 この映画では、男子学生のこの疑問に顕著なように、男の子はそうした「否定」や「からかい」が友情関係構築の主な手段となり、人の内面までうまく踏み込めない。一方で女の子たちは、嘘も含まれた「肯定」や「共感」で友情関係を構築するが、こちらも本心にはたどり着くことができない。ここだけを抜き出すとかなり一面的ではあるが、細かな描写で人物の余白や多様性を浮き彫りにしながら、そうした中高生の人間関係あるあるを織りまぜていく。

 「うまく内面に踏み込めない」というのは、『カランコエの花』だけでなく「ガール・ミーツ・ガール」作品に通底している問題意識のように感じられる。私たちは、そうした「内面に踏み込めない(人たちの)物語」が迎える行く末を知ることで、自らを見つめ直すことになる。

 この映画の特徴もやはり、悲劇的にすら映る「別れ」を描いたラストシーンではないだろうか。「桜(有佐)が月乃(今田美桜)に恋をしていること」と「桜は教室にはいない」という事実だけが残るあの場面。鑑賞者に「結末のその後」を委ねることで、“目に見える”外側だけではなく、“見ようとしないと見えてこない”登場人物たちの内面に強く迫ることを促している。

 以上、ストーリーは各々に個性がありながら、どこか共振するものを感じる3つの「ガール・ミーツ・ガール」映画を紹介した。ここでは詳しく触れることができなかったが、アニメーション映画の『リズと青い鳥』や2017年の菊地健雄監督作『ハローグッバイ』など、同時代性の高い作品は他にもいくつか公開されている。

 青春時代には「出会い」と「別れ」がつきもので、その忙しない時代を経て私たちは大人へと成長していく。これらの映画はその儚い時間の中に生きる、特に外側を重視されやすい「少女」に深いまなざしを向けることで、観客に新たな視線を提示している。上映期間の延長や上映館の拡大という目に見えるヒットは、そうした物語が実際に観客に届いていることを証明するものだ。『カメラを止めるな!』を象徴として国内のインディペンデント映画が活発だった2018年。2019年もその動向に目が離せない。

※1 世界文化社『i-D JAPAN No.6』P22より

(c)押見修造/太田出版 (c)2017「志乃ちゃんは自分の名前が言えない」製作委員会

■原航平
編集/ライター。1995年生まれ。敬愛する映画監督は増村保造、相米慎二、是枝裕和、濱口竜介、今泉力哉(敬称略)など。2018年で一番心に刺さった映画は『ファントム・スレッド』、ドラマは『このサイテーな世界の終わり』。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる