大泉洋だからこそ演じられた鹿野靖明 『こんな夜更けにバナナかよ』は“自由”とは何かを問いかける
しかし、世の中には、家族という制度に頼れない人も存在する。また、独身者が孤独死するのも自己責任とみなす人もいる。だが、そんな人たちに自己責任を突き付けるということは、孤立しているものは、世の中の落伍者となってもいいと賛同していることと同じである。ここでも、自己責任論者の、自分だけは制度に守られ、そこからこぼれおちないという驕りが感じられる。
映画には、そんな制度に対してナチュラルに疑問を持っているのがわかるシーンがある。鹿野はあるときから人工呼吸器をつけることになるが、器官に痰が入ったら死の危険が伴うし、痰を吸引するためには、24時間、看護師などがつきっきりでみないといけない。しかも痰吸引は医師や看護師だけが行える医療行為であり、例外的に家族にしか認められないのである。
それに対し、鹿野とボランティアは、単に制度の言うなりになるのではなく、疑問を呈し、変えようと働きかけるのである。
抵抗と実験的な改革していくことで、ボランティアは鹿野と疑似家族のような関係性にもなっていく。そんな流れを見ていくと、血縁と婚姻による家族に何もかもを委ねさせることも自己責任論につながっているとわかるし、だからこそ、鹿野は、母親に深い愛情を感じながらも、自分の介護を母親に委ねることはしないのだということも見えてくる。
自由を得るために、周囲と世の中に働きかけるのは、鹿野にとってはしんどいことでもあるだろう。それでも鹿野が動き続けるのは、単に自分のためだけではなく、社会に対しての問いもあったからだろう。鹿野の魅力は、その「人たらし」的な人間性にも宿っているが、彼が動き続けたことにもあったのだと思う。
前田哲監督にインタビューしたときに、「この映画は大泉さんがいないと成立しなかった」と語っていた。大泉洋は、鹿野靖明になりきるために、体重を落とし、コンタクトで視力を落としてから眼鏡をかけて役づくりをし、実際に存命のときの鹿野さんに触れた人々にも、鹿野さんそのものと思われるようになったという。
実際、映画のファーストカットでは、まったくこれまでの大泉洋とも違うのに、この役は大泉洋にしか演じられないと実感させられた。鹿野のわがままなのに何とも言えない「人たらし」なキャラクターに説得力があるのも、大泉洋が演じてこそだろう。
それに加え、雑誌『STEPPIN’OUT!』では、大泉洋自身がこうした作品の背景に流れるもの、特に「人に迷惑をかけること」の意味や、自己責任というものを実に深く考えたということが分かった。また、前田監督は、この映画がメジャーであるためにも大泉洋が主演でないといけなかったとも語っていた。大泉洋が出演することで、数多くの人が映画を見て、素直にさまざまなことを感じられる。そんなことにも大きな意味があるのではないだろうか。
■西森路代
ライター。1972年生まれ。大学卒業後、地方テレビ局のOLを経て上京。派遣、編集プロダクション、ラジオディレクターを経てフリーランスライターに。アジアのエンターテイメントと女子、人気について主に執筆。共著に「女子会2.0」がある。また、TBS RADIO 文化系トークラジオ Lifeにも出演している。
■公開情報
『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』
全国公開中
出演:大泉洋、高畑充希、三浦春馬、萩原聖人、渡辺真起子、宇野祥平、韓英恵、竜雷太、綾戸智恵、佐藤浩市、原田美枝子
監督:前田哲
脚本:橋本裕志
原作:渡辺一史『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』(文春文庫刊)
配給:松竹
(c)2018「こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話」製作委員会
公式サイト:bananakayo.jp
公式Twitter :@bananakayomovie