サリンジャー作品の登場人物のようで愛おしい 『マイ・プレシャス・リスト』世界の美しさと醜さ
そして本作のキャリーもまた、他人のずるさや不純を見つけては厳しく断罪せずにいられない潔癖さを持つ。きまじめだが、傲慢とも呼べる。くわえて19歳という年齢もまた、若者ならではの鋭敏さが色濃く残るタイミングであり、結果として『マイ・プレシャス・リスト』という作品に青春映画らしい性急なテンポをもたらす。大人になると、他人の矛盾や間違いをまっすぐには批判できなくなるものだ。世の中はおおむね理屈に合わない場所だと妥協しながら生きる態度を、成熟と呼ぶべきか、堕落と呼ぶべきか……。たとえば劇中、キャリーの母親はすでに死んでしまっていることが示されるが、その後父親は単身赴任中のイギリスであらたな女性と出会い、再婚を考えていることがわかる。不意打ちでその事実を知らされたキャリーは父親に反発するのだが、再婚で父親を責めても仕方のないことではないかと、観客は父親に同情するだろう。
人は誰しも、生きていく中で他者と出会ったり別れたりするもので、たとえそれが周囲から賛同を得られなかったとしても、出会いや別れを止めることはできない。時には愚かな失敗もするし、人には言えない問題を抱えてしまう場合もある。他人に指摘されれば反論のしようがない矛盾や欠点を抱えつつ、それでも日々を生きていくほかないものだ。そうした矛盾に対して、身も蓋もない正論を振りまわすキャリーは、まさにサリンジャー作品の登場人物のようで愛おしい。19歳の若さならそう思うことも許される、という絶妙なキャラクター設定がキャリーにはあり、彼女の存在感がもたらす愛おしさにつながってもいるだろう。
セラピストの男性が渡す課題のリストは、キャリーを現実へと引き戻すきっかけとなる。リストが具体的に何らかの効果を持つかどうかは、さして重要ではない。大晦日に誰かとすごすことが人生を劇的に変えるわけではなくとも、リストがもたらす強制力こそが意味を持つのだ。それは『フラニーとゾーイー』で、フラニーの兄ゾーイーが語った「それにしても活動したほうがいいぜ、きみ。回れ右するたんびにきみの持ち時間は少なくなるんだ」という言葉を連想させる。世界へ飛び込め、と兄は妹へ伝える。同じように『マイ・プレシャス・リスト』は、思い切って世界へ飛び込んだキャリーが出会う人びとの美しい面、醜い面を同時に描いていく。こうしてニューヨークを舞台にした青春映画が、アメリカ文学の良質なエッセンスを汲み取りながら描かれるようすに、海外文学ファンとして素直に嬉しくなるのだ。
■伊藤聡
海外文学批評、映画批評を中心に執筆。cakesにて映画評を連載中。著書『生きる技術は名作に学べ』(ソフトバンク新書)。
■公開情報
『マイ・プレシャス・リスト』
新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ有楽町、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国公開中
監督:スーザン・ジョンソン
出演:ベル・パウリ―、ネイサン・レイン、ガブリエル・バーン、ヴァネッサ・ベイアー、ジェイソン・リッター、ウィリアム・モーズリー、コリン・オドナヒュー
原作:カレン・リスナー
配給:松竹
原題:『Carrie Pilby』/2016年/アメリカ/英語/98分
(c)2016 CARRIE PILBY PRODUCTIONS, LLC. ALL RIGHTS RESERVED.
公式サイト:my-precious-list.jp