主人公の姿には私たちの“自画像”が映し出されている 荻野洋一の『世界で一番ゴッホを描いた男』評

荻野洋一の『世界で一番ゴッホを描いた男』評

 このドキュメンタリー映画の主人公・趙小勇は、世界で一番たくさんゴッホの絵を描いてきたのに、いまだ本物を見たことがないのだと言う。今日そんなことがあるものなのかといぶかしく思えるけれども、現代資本主義の皮肉と滑稽を、この趙という人物は、絵に描いたような極端さで体現しているのかもしれない。

 私たち日本人はとかく中国人の経済活動を、やれパチモンだ、“安かろう悪かろう”だと手厳しく論じがちである。そしてそれは必ずしも誤りでない点もあるが、あくまで事の本質の一面にすぎない。だいいち日本製品にしたところで、戦後まもなくは世界で同じ評価を下されていた。当然のことだが、中国にもパチモンの従事者もいれば、そうでない者もいる。いまや世界に冠たる日本の伊万里焼にしても、元々はといえば17世紀はじめ、明末清初の動乱で中国から青花白磁(日本で言う「染付」のこと)の供給がストップしたことで、ヨーロッパの王侯貴族やブルジョワジーのあいだで代替品(つまりパチモンだ)として一躍注目されたことが栄光の歴史の始まりだった。しかも伊万里焼は、秀吉の朝鮮出兵の撤退時に拉致されてきた朝鮮の陶工たちが九州に定住して焼き始めたことでやっと得られた、近隣諸国からの技術導入の賜物なのである。

 香港に隣接し、経済特区で知られた深圳市の北部に「大芬(ダーフェン)油絵村」とよばれる地区がある。複製画では世界市場の6割シェアを占め、10,000人以上が複製画製作に従事しているこの大芬という地区が、『世界で一番ゴッホを描いた男』の舞台となる。ビルの谷間の狭い道。連日の豪雨でびしょびしょの路面。ひしめく雑居ビルのあちらこちらで絵筆を握って作業する人々の群れ。茶や小吃をふるまう露店。この風景を眺めつつ、映画ファンの多くは王兵(ワン・ビン)監督の『苦い銭』(2016)を思い出すのではないだろうか? 子ども服製造の集積地・浙江省湖州でロケされ、低賃金で朝から夜中まで働きづめの労働実態を息苦しいまでのカメラワークでとらえたドキュメンタリーの傑作『苦い銭』。『世界で一番ゴッホを描いた男』は、その大芬油絵村バージョンと見えなくもない。“柳の下の二匹目のどじょう”を狙った企画かとの疑念から、筆者は本作をいくぶんか冷ややかな視線で見始めたことを、ここで白状しなければならない。

 結論から言えば、これは二匹目のどじょうではない。現代映画の極北に位置せんとする凶暴な意志で息苦しいまでの『苦い銭』とちがって、『世界で一番ゴッホを描いた男』はもっと人間臭く、風通しがよい。舐めているとガツンとやられる作品だ。主人公はゴッホを月に700枚も800枚も従業員を使って描きまくり、出荷しているが、何枚描こうとそれはパチモンだ。複製画は贋作とちがって合法ビジネスだけれども、パチモンであることには変わりがない。彼らはアトリエで長時間にわたり半裸で絵を描き、食事をし、寝落ちする。誰かが「さあ起きてもうひと頑張りしよう」と声をかけると、半裸の職人たちは気だるそうに起き出して、再びゴッホ複製画に精を出す。この空間は町工場であって、芸術空間ではない。映画の視界は下3分の2の視界のみによって成立している。上3分の1は夥しい数の生乾きの完成品がびっしりと吊り下がり、天地逆転の珊瑚礁のようだ。むしろこの上下構造の薄気味悪い限定によって逆説的に、ある芸術的空間へと変貌しているとも言える。

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