食い足りなさに感じる不思議な魅力 『デッドプール2』は“思春期に帰れる”

 前作『デッドプール』(16年)は習作という感じの作品だった。不死身な上に第四の壁を無視する傭兵デッドプール。そのキャラクターに相応しい破天荒な内容かと思いきや、下ネタや暴力もそこまで過激なものではなく、実に手堅い出来の、善くも言えば優等生的、悪く言えば食い足りない作品だった(「顔面騎乗って、アメリカでは大オチになるくらいマニアックな行為なのか!?」というのが一番衝撃だった)。今回の続編『デッドプール2』(18年)も同様の印象だ。しかし今回はその食い足りなさに不思議な魅力を感じた。「童心に帰れる」という定型句があるが、私は本作を「思春期に帰れる」と表現したい。

 強くて不死身で自分が映画のキャラクターだと認識している超人、デッドプール(ライアン・レイノルズ)は色々あって自殺するほど悩んでいた。そんな彼はある日、ミュータントの少年ラッセル(ジュリアン・デニソン)と出会う。そこにラッセルの命を狙って未来から暗殺者ケーブル(ジョシュ・ブローリン)が現れる。デッドプールはラッセルを守るため、特殊能力者を集めたチーム「Xフォース」を結成するのだが……という粗筋だけでも薄々察しがつくが、本作のデッドプールは“クソ無責任ヒーロー”と言いつつ、大別すれば間違いなく正義漢だ。終始コメディというスタンスは崩さないものの、映画が進むにつれ、物語は『ダークナイト』(08年)を彷彿とさせる非常にシリアスな問題に向き合うことになる。本作は前作同様、根底では非常に真面目なヒーロー映画なのだ。そういうわけで前作同様、メチャクチャなブラック・コメディを期待していくと、若干の食い足りなさを感じるのは確かだ。しかし――。

 本作の予算は前作の倍、100億円程度とされている。立派な大作だ。その一方で、映画のノリは前作より間違いなく過激になっている。これは凄いことだ。残酷描写を売りにした映画は星の数ほどある。下ネタで勝負する映画も然りだ。しかし、100億もかけた全世界公開のヒーロー・アクション映画で手足がボンボン飛んで、バイブや何だのと下ネタが飛び交う作品があっただろうか? 本作はR15指定だが、その範囲の中で出来るギリギリのところを攻めているように思う。この寸止め感が堪らない。日本の色々な意味での大きなターニングポイントは18歳、いわゆる18禁だ。そして多くの場合、人生は18禁の壁を超えてからの方が長い。私自身も映画、ゲーム、漫画……etcで、18禁のコンテンツに触れることに何の制限もなくなって十数年が経つ。18禁の向こう側へ憧れていた頃のフレッシュな気持ち、ましてR15の先への憧れなんて忘却の彼方である。ゆえにR15の壁にピッタリと沿って走るような本作を観ていると、とっくに忘れてしまったR15の壁と、その向こうを夢見ていた思春期を思い出さずにはいられない。キレのあるアクションに、無数のギャグ、そして生真面目なストーリーに、何処か郷愁を誘う寸止め感。これらが詰まった実に暖かい映画である。

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