実写映画を超える思春期のリアル 『リズと青い鳥』に見る、京都アニメーション作品の映画的手法

『リズと青い鳥』が描く思春期のリアリティ

 『映画 聲の形』が公開された際、原作漫画があることも知らず、松岡茉優さんが声優を担当しているという情報だけで観に行きました。そしたら、こんなにすごいアニメーション映画があるのかと衝撃を受けました。その後、原作漫画を読んで、映画がいかに原作の大事な部分を抽出して、構成・演出を行っていたのか、その凄さを改めて感じました。山田尚子監督を中心とした京都アニメーションの作品には“映画的手法”があるのです。

 そんな京都アニメーションが手がけた本作には、まるで“デビュー作”と思うような実験性と大胆な演出が詰まっていました。『映画 聲の形』があれだけヒットして、批評面でも高い評価も受けただけに、次に手がける作品は、いわゆる手堅いものになってもおかしくなかったと思うんです。でも、表現方法を多くの人が理解できるような分かりやすいものにするのではなく、作り手たちが本当にやりたいものをもう一度見つめ直している作品になっていました。

 構造としては、内気な主人公の鎧塚みぞれが、自分の殻を破って一歩成長するという非常にシンプルなお話です。自分を吹奏楽部に誘ってくれた親友・傘木希美を思い続けるみぞれと、自分より優れた音楽的才能を秘めていたみぞれに、嫉妬にも似た感情を覚えてしまう希美。2人の揺れ動く感情が丁寧に紡がれていきます。そんな2人の心情にシンクロしていくように、架空の童話『リズと青い鳥』のアニメーションがインサートされていく。青い鳥を自由に解き放つことが愛なのか、一緒にいることこそが愛なのか。みぞれと希美、どちらが青い鳥でどちらがリズなのか。置かれている立場が逆転してしまう、その心情が変化していくさまはスリリングですらありました。

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 映画の冒頭は、みぞれと希美、2人の足音から始まります。高校3年生の吹奏楽部員である2人の何気ない登校風景を描写していくのですが、そのワンシーンだけで、本作が“音”の表現についての作品であることがありありと分かるんです。

 この冒頭とラストシーン以外、みぞれと希美は校舎内でしか映し出されません。このミニマムな世界観に落とし込むという選択に潔さを感じます。みぞれと希美が「みんなでプールに行こう」という会話をするシーンがあるのですが、その次のシーンではプールに行った後、写真をみんなで観ているカットになります。この場面は見せ場のひとつになりそうなのに、彼女たちを決して学校の外に出そうとしないんです。このシーンで作り手のこの映画に対する姿勢が伺えました。

 学校内しか描かないからこそ、教室にある何気ないアイテムで登場人物たちの感情が表現されていきます。風に揺れるカーテン、教室の黒板に貼られた掲示物、理科室にいる水槽の中のメダカなど、描かれている一つひとつのものに繊細な意味が込められているんです。絵で描かれた人間たちの芝居に加え、それらが実に効果的でした。

 学校という内側の世界しか描いていない一方で、彼女たちには高校卒業後の進路という外側の世界を突きつけています。分かりやすさを重視するのであれば、学校の外の世界も描いた方が観客には絶対に親切なんです。でも、あえて描かないからこそ、彼女たちの日常を観客に想像させる余地を与えることができる。大胆な作り手たちの姿勢が垣間見える、非常に映画的な演出だと感じました。それはフレームの中しか見せられないからこそ外の世界を想像させるというやり方です。

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