松坂桃李、日本映画界に欠かせない俳優に 『不能犯』『娼年』『孤狼の血』まで、その演技を考察

 映画の中で描かれる嘘にリアリティを与えるためには、俳優の力が不可欠だ。これが特撮映画ならば、特撮技術とそれを見せるセンスがなければチープなものにしかならないと思いがちだが、宇宙人なり、怪獣を見つめる俳優たちの演技も映画の成否を大きく左右させる。撮影現場では山の頂や、長い棒の先に目線を送って、あたかもそこに巨大な怪獣が出現したかのように彼らは演じなければならない。実にバカバカしく、本気で演じる気にもなれない――と思って演じた俳優の態度は如実に画面に伝染する。池部良は、『妖星ゴラス』(62年)の頃はまだしも、60歳を目前に出演した『惑星大戦争』(77年)になると、明らかに不機嫌な顔で、こんなものに付き合っていられるか、という態度がすけて見え、共演の沖雅也も手を抜いているのが一目瞭然だった。『スター・ウォーズ』(77年)公開前に急遽こしらえたパチモノ映画だけに同情すべき余地があるとは言え、『惑星大戦争』のつまらなさは俳優にも何割かの責任がある。

 ことほどさように、映画の中で描かれる嘘が大きくなればなるほど、脚本や演出と共に、俳優が虚構と真剣に向き合えるかどうかがカギを握る。その意味で、松坂桃李が相手をマインドコントロールすることで刑法に問われない完全犯罪者を演じ、刑事の沢尻エリカが追う『不能犯』は、この2人をキャスティングしたことで成功が半分確約されたようなものだ。何せ、巨大な力を持つ超能力者・松坂によって次々引き起こされる狂的な殺人事件と彼を追う沢尻らの捜査網を軸に、都市で無差別に発生するテロ事件も描かれるスケールの大きさだけに、それなりのバジェットで作られているとはいえ、派手な爆発は合成でしかないし、警察が出てくると言っても、重厚なセットは見られない。つまり、映画の中で描かれる〈大きな嘘〉を成立させるための裏付けとなるディテールが弱いのだ。普通に作れば日本映画の予算の限界が垣間見えてしまうスカスカになりかねない部分を、この作品は白石晃士監督のセンスと、松坂桃李と沢尻エリカの演技によって映画を何倍も大きく、豊かに見せている。

『ピース オブ ケイク』より (c)2015 ジョージ朝倉/祥伝社/「ピース オブ ケイク」製作委員会

 最初は、大して気にも留めていなかった俳優が、ある時期から隅に置けない存在になることがある。遂には、その俳優が出ているからという理由で、映画や舞台を見に行くようになる。筆者にとって松坂桃李はそんな一人だ。映画は『僕たちは世界を変えることはできない。』(11年)あたりから観ているが、目を引くようになったのは、主役ではなく、助演で思わぬ怪演を見せた時からだ。『ピース オブ ケイク』(15年)で松坂はオカマの天ちゃんを演じたが、奔放に主役たちに食らいつき、過剰な芝居をやり過ぎになる直前で引いてみせる節度も好ましかった。この人は、エキセントリックな役や非現実的な役を成立させてしまうのではないか――という予感は、続く『劇場版 MOZU』(15年)の殺し屋役でも立証されたが、昨年の『彼女がその名を知らない鳥たち』(17年)で見せたデパート店員の様に、市民生活に埋没したごく平凡な何の特徴もない男を演じても、やがて劇中で存在感をみるみる大きくする面白い存在になってきた。

『娼年』より (c)石田衣良/集英社 2017映画『娼年』製作委員会

 今後の公開作に目を移せば、『娼年』(4月6日公開)では下北沢のバーでバイトする大学生という、これまたどこにでもいるような役である。男娼のコールクラブに誘われたことから、年齢も境遇も異なる女たち――20代から70代に至る性的趣向もまるで違う女たちに寄り添い、奉仕することになる。松坂が男娼を始めた頃、コールクラブで最も人気を誇るVIPクラスの同僚(猪塚健太)から、直ぐにトップに登りつめるだろうと予言される。松坂は信じられないという顔をしているが、あっという間にVIPクラス入りを果たす。『娼年』はCM畑の撮影監督によって撮られているだけに、凝った映像で「裸体/性交/東京」を映し出すが、ごく普通の青年だった松坂が男娼として変化していく姿は映像に依拠しない。肉体を無防備に晒し続ける松坂の全身演技によってその変貌を見せるのだ。全篇の8割方が全裸の性交シーンだけに、何人もの女たち(時には男も含まれる)と交わる松坂は、性交を演じ分けなければならない。肉体が弛緩したり、退屈なセックスを見せようものなら、映画自体が崩れてしまう。まさに松坂の存在だけで映画を成立させられるか否かが問われ、そうした繊細な要請に応えてみせている。

『孤狼の血』より (c)2018「孤狼の血」製作委員会

 続く『孤狼の血』(5月12日公開)で新人刑事を演じる松坂も、最初はどこにでもいる特徴のない若者にすぎない。暴力団組織と癒着し、法規を無視した荒っぽい行動で抗争の火種を押さえ込もうとする先輩刑事・役所広司の強烈な個性の前では、松坂の存在など霞んでしまいそうに見える。それが執拗に彼へ食らいつき、激しく反発しつつ、遂には役所を超える存在感を現すようになる。殊に後半になると、松坂の肩に映画の全てがのしかかるほど大きな役目を担うことになる。役所とは対極的な演技で同じボルテージに到達しなければ映画は失速してしまうだけに、いくら原作が面白くとも、いくら優れた脚色がなされていても、いくら見事な演出が細部まで施されていても、全てが松坂にかかってくる。『孤狼の血』が傑作になった理由は、松坂を抜きには考えられない。

 こうして今年の松坂桃李の出演作を見ていくと、市民社会側からあちらの世界へと越境していく役が多いが、『不能犯』は、最初から越境後の世界の住人である。黒ずくめの服で廃墟に佇む姿が象徴するように、宇相吹正を演じる松坂は、生活臭や人間味を微塵も感じさせず、特殊能力者に相応しい無機質な不気味さで全篇を演じきる。白石晃士監督によると、「原作では宇相吹正のちょっとだけ人間味のある要素……家賃が払えなくて追い出されたり、猫が好きだったり…というところも描かれていますが、映画ではそれは一切排除しています。松坂桃李さんが持っている本来の人の良さが出ると、宇相吹が優しくなりすぎてしまうのでは?と思ったので、あえてユーモラスな瞬間はなくしていきました」(プレスシートより)とのことだが、これは松坂桃李という俳優を的確に評した至言だろう。『日本のいちばん長い日』(15年)で演じた畑中少佐の狂的な振る舞いを思い出せば、〈人間味〉を排除したことで、松坂は一線を越えた狂気を存分に表出させていた。

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