菅田将暉の名演技に感涙! 『おんな城主 直虎』の見事な最終回を振り返る

 12月17日の最終回放送終了後から、“直虎ロス”の声が視聴者から上がり続けているNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』。正直、49回の放送までは、まだまだ続いていく徳川家の、井伊家の物語をどうやって着地させるのか、危ぶむ視聴者の声も多かったように思う。が、終わってみれば、第1回からのエピソード、張り巡らされた伏線をすべて回収し、本作が描き続けてきた“喪失と再生”が詰まった見事な最終回だった。

 織田信長(市川海老蔵)の命を奪った明智光秀(光石研)が羽柴秀吉に討たれたことで、井伊谷でかくまっていた明智の遺児・自然に追っ手が迫っていた。徳川家が謀反に加担していたという疑いがかけられるのを避けるため、万千代(菅田将暉)、そして徳川家康(阿部サダヲ)の母・於大の方(栗原小巻)は自然を引き取ろうとする。しかし、そこに立ちはだかるのが直虎(柴咲コウ)だ。

 かつて、万千代の命を救うために、井伊を守るために、名も無き少年の命を、そして小野政次(高橋一生)の命を奪うことになった直虎。だからこそ、直虎が於大の方に向けた「守れぬ命は山のようにございます。ならばせめて守れるものを……」という言葉が痛切に響く。命を取り合う戦国の世、常識的に考えれば、於大の方の考えは当たり前だ。しかし、数多の喪失の上に、井伊の魂を繋いできた直虎には、0か100ではない、その間を選びとる“強さ”が備わっていた。直虎、瀬戸方久(ムロツヨシ)、南渓和尚(小林薫)の機転で命をとりとめた自然。その登場は僅かだったが、直虎、そして万千代が歩んできた道のりを、象徴的に示した欠かすことのできないキャラクターであった。

 自然の命を繋いだ一方で、直虎に病の影が忍び寄る。第49回までその気配すらなかっただけに、下手な描き方をすれば“最終回のための死”になってもおかしくはなかった。ところが、森下脚本の真骨頂はここにこそ詰まっていた。直虎がうたた寝をするように目を閉じると、幼い姿の亀之丞(井伊直親)、鶴丸(小野政次)の姿が。直虎も幼き頃の“おとわ”に戻り、幼年時代の龍雲丸まで現れる。

 第1回から丹念に描かれていた彼らの幼年時代も、すべてはこのときのためにあったのだ。駆け引きや争いごとがない無邪気な子ども時代。直親、政次から託された井伊の意志を、直虎は自然の命を救う過程で改めて万千代に繋いだ。だからこそ、最後は愛する者たちと共に、安らかな笑みを浮かべながら終えることができたのだろう。

 そして直虎の死後、万千代演じる菅田将暉の演技は圧巻だった(茫然自失の万千代を叱咤する榊原康政(尾美としのり)の優しさも粋だった)。多くの人が繋いできた自身の命と立場を武器に、万千代は北条家との和睦の使者という大役を務める。万福(井之脇海)、直之(矢本悠馬)、六左衛門(田中美央)らと共に、さながら一流企業の「営業マン」のごとく交渉を積み重ね、見事に和睦を成功させる。井伊家の新しい世代が、力を示した瞬間だ。

 万千代はこの功績を認められ、ついに念願の元服を果たす。元服後の名は「直政」。井伊の通字である「直」と、小野の通字である「政」をあわせた、井伊家に携わる者のすべての想いが詰まった名だ。瞬きもせず、1点を見つめ、力強い感謝の口上を述べる菅田の演技には、涙せずにはいられなかった。己の志のために猪突猛進に突き進むだけの万千代とは違う、「井伊直政」の姿がそこにはあった。

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