菊地成孔×モルモット吉田、“映画批評の今”を語る 「芸で楽しませてくれる映画評は少ない」
吉田「イメージとして語られる“秘宝”と実際の今の誌面との違いは大きい」
吉田:『欧米休憩タイム』に収録された中で、反応が一番大きかった作品は何ですか。
菊地:そうですね、連載フォームのタイトルの下のところにある、「いいね数」と「ツイート数」を見る限り、圧倒的に『ラ・ラ・ランド』ですね。いつもの100倍付け。韓国映画はアウェイ感はすごくて、韓国映画を見る人は韓国映画を見る人、K-POPを聞く人はK-POPを聞く人、というひとつのトートロジー的になっちゃってるから、たこつぼ感が結晶化しちゃってますね。僕は韓国映画もテレビドラマも音楽も好きで、リトルコリアにずっと住んでたいましたし。だから、この連載の開始時に掲げたテーマとして、本当はアルファべットさえ使えなければエジプトでもよかったし、中東系の映画でもよかったんですけど、結局は日韓になっちゃいましたね、配給の関係です。半分は韓国映画レビューなので、もう少しタイトルに「韓流なんとか」とか入れておけば、それだけで買う人もいるかな、とは思ったんですけど(笑)、やっぱり韓国映画で本当に素晴らしいと思う作品について書いても『ラ・ラ・ランド』の比じゃないですね。別に僕のことなんか知らなくても、刺激を求めて常に検索を怠らない人たちや火事場見物に行く人たちによって、『ラ・ラ・ランド』だけ大火事になり、あとはもう無風ですよ(笑)。
吉田:今は映画雑誌でもWEBでも、公開前は批判的なことは基本的に書かないという暗黙の了解がありますね。『キネマ旬報』の星取りは基本的に公開後に掲載するので自由に批判できるということのようです。そういう意味でも、菊地さんが書かれるものは際立つと思うんです。
菊地:公開中か公開前かも知らずに書いていますからね。物によっては公開終わってたりして(笑)。
吉田:最近はネタバレについても公開前はここまでとか、こういう書き方はしないでくれとか誓約書を書かされたりして、どんどん書きづらくなってきた印象がありますが。
菊地:ネタバレは修正がきたりしますね。まあ、公開前の映画をどうやって批評で、商品として大切に扱うのかというエチケットに関しては、やや雑になっちゃったと思いますよ。そこは町山さんにも指摘されたところで、大変勉強になりました。親切ですよね(笑)。
吉田:映画雑誌でも作品によれば、賛否両論掲載にしたりして公開前に批判的な内容を載せることはあるので、画一的な話でもないとは思うんですけどね。
菊地:そうですね。昭和の番長のルール設定ですよ(笑)。というか、個人のウェブなので、なんだっていいじゃんって思ったんですけどね。映画の連載をやってますよとうたってるウェブでもなんでもない、いろんなことが書かれる個人のブログの、ある1日にこの映画ダメだって書いただけでお縄になるんで(笑)。大変なパトロールぶりですよね(笑)。アメリカの警官ですよ。水野晴郎イズム最後の継承者というか(笑)。
吉田:『欧米休憩タイム』の中に「秘宝系」という言葉が出てきますが、『映画秘宝』も創刊から20年以上が経ち、町山さんの編集長時代にテーマごとにムック形式で出していた時代とは体制も変わりました。
菊地:違いますよね。読まなくてもわかります。
吉田:今の『映画秘宝』について思われることはありますか。
菊地:『映画秘宝』が変わっているのは風の噂で聞いていました。ただ、ここは言っておくべきと思うんですが、僕にとっては柳下毅一郎と町山智浩のファビュラス・バーカー・ボーイズが主筆だった頃が”秘宝”であって、体制が変わってからのものは1号も読んだことないんですよ。だから、秘宝がどのぐらい変わったのかっていうことは、細かく捉えていないです。
秘宝は最初、厳格な理念や、マーケットを作っていく力があったと思うし、僕も自分がその理念に乗れるかどうかは別として、のめり込んだんですよね。だから、「菊地は秘宝を初期のころで読むの止めてるまま、秘宝、秘宝って言ってるよな」とは、もう言われていると思う。オタクさんはいっぱいいるから、この程度の指摘はなされているはずです。だから、僕は秘宝を、町山さんと柳下さんが作り上げて一時代を築いたところまでしか読んでいないし、秘宝の歴史的な位置をそこで固定していますが、現在の秘宝はどうなんでしょう、転向とか変化を繰り返しながら、例えば『ワンダーウーマン』の特集があったとして、一番でかい記事は町山さんが書く、というようなような感じですか?
吉田:今の『映画秘宝』の編集長は僕の1つ下で38歳なんですけど、町山さんから誌面の内容について直で意見されることも怒られたことも一切ないそうです。ただ、僕もそうですが、高校生の頃に初期の『映画秘宝』を読んで影響された世代なので、編集長が交代したからと言って、全く違うテイストの雑誌にしようという気はないでしょうね。
菊地:要するに、弟子ではない、弟子筋なんだと。そうでしょうね。タレコミがあって知るんですが(笑)、『読書メーター』に柳下さんが本人だってわかる形で投稿されるとき、僕が秘宝という言葉を書くことに対しては良い意味でも悪い意味でもなく敏感になっていて、しかもそれは、自分が作り上げた”秘宝”を指していることも、現在は違うっていうこともお分かりの上で指摘されていると思うので、自分は丸裸だな、と思いますね。今の秘宝は全く読んでないですし、僕は『キネ旬』(『キネマ旬報』)小僧で、中学生のころは、意味もなく大学ノートにベストテンを書き写してました。本誌があるんだから写す必要ないんだけど、写経みたいに(笑)。でも、ここ20年ぐらいですかね、全く読まなくなっちゃって。秘宝がどう変わったかっていうのも、事細かに知れば知ったで面白いんでしょうけど。
吉田:イメージとして語られる“秘宝”と実際の今の誌面との違いは大きいと思います。ただ、ワンテーマで年に数冊出ていた時代と、月刊で新作を毎月紹介する映画雑誌になった段階で、ズレは生じたと思います。定期刊行の映画雑誌としての役割を担う部分が大きくなっているでしょうね。
菊地:『カイエ・デュ・シネマ』がまだあるんだからね。
吉田:本国ではまだありますね、日本はもう出なくなりましたが。
菊地:編集長はまだ(ジャン=ミシェル・)フロドンがやってんのあそこ? そういう意味では、とっくに違う媒体になっていて、名前だけ残ってるっていうのは老舗ですよね。
吉田:他の方と話していても秘宝でイメージされるのは、やはり初期のもののようです。
菊地:現に初期しか読んでいないですからね。老舗がどんどん、店の名前だけ残したまま中身が変わっちゃうという現象自体は面白いことなので、もうちょっと雑誌を読む体力があったら、今の秘宝も読んで、初期のころから変わったなという把握を持ちたい気もするんですけど、不勉強ながら、吉田さんのこともこの本で初めて存じ上げたんですよ。僕が思っているいわゆる”秘宝系ライター”、というのは例えば高橋ヨシキさんや長谷川町蔵さんらの、初期秘宝のオールドスクーラーの人とは全然違う。秘宝のニュースクーラーというか、そもそも秘宝にも書くし、キネ旬にも書くっていうのは、完全にニュースクールですもんね。
吉田:僕らと同世代の編集者やライターと話すと、映画雑誌をフラットに複数読んでいたと言いますね。1誌だけでは情報が足りない。日本映画が好きなら『映画秘宝』だけでは物足りないし、『キネマ旬報』もメジャー系しか取り上げない。『映画芸術』『ビデオでーた』も合わせて、なんとか欲しい情報と評が読めるみたいな。今の秘宝の編集長も、キネ旬の読者欄によく投稿していた人ですから。昔のほうが、その雑誌でしか読めない個性が書き手にありましたね。
菊地:最初の秘宝は、完全にセクトの立ち上げですよね。あれはすごかったなと思いました、勢いがあって。