トム・クルーズの狂騒がキラキラと輝くーー『バリー・シール』が描き出す、アメリカの病理

小野寺系の『バリー・シール』評

 映画『20センチュリー・ウーマン』や、アニメ『FはFamilyのF』などでも描かれていたとおり、本作の舞台である70年代のアメリカは、「男は男らしく、女は女らしく」という父権的な思想がまだまだ根強く、さらに70年代から80年代へと移り変わる境目においてカーターからレーガンへと大統領が代わることで、「強いアメリカ」を目指す保守的な思想にアメリカは大きく傾いた。その流れは、「メイク・アメリカ・グレイト・アゲイン(アメリカを再び偉大な国へ)」を標榜して大統領選に勝利し、「レーガンの再来」とも言われるドナルド・トランプの、復古的な方向へ梶をきっていく現在のアメリカの状況に呼応している。この時代を見ることは、現代を見ることでもある。

 このような「強い我が国(富国強兵)」という価値観のなかでは、軍事力や経済力、実務的スキルや、権力とのコネを持った「強者」がより存在感を持つ。バリー・シールは、メデジン・カルテルという犯罪組織に踊らされ、ロナルド・レーガン体制下では、逆に組織を壊滅させる作戦のためにまた便利に利用されることになる。

 たしかに、国内を麻薬で汚染されることは阻止しなければならない。だが、メデジン・カルテルが武装組織に成長したのは、本作で描かれるとおり、もとはといえばアメリカの代理となる軍隊を他国で育てるという目的で、政府が大量の武器を国外へ輸出したからである。その武器がアメリカを汚染するメデジン・カルテルに流れていたのだ。

 バリー・シールは、たしかに違法行為に手を染めるならず者であるが、そんな彼をすら、強権的な国家は利益を守る道具として使う。アメリカはバリー・シールの上をいく「あくどさ」を持って、世界の覇権を握ろうとしていたのだ。であれば、ひたすらに利益を得ようとするメデジン・カルテルとアメリカ政府に、本質的な違いがあるだろうか。彼らは互いに手段を選ばず、より多くの利益を得て、より大きな力を得るために行動している。その権力抗争の間で右往左往し、狂奔させられ踊り続けた男がバリー・シールだった。本作は彼の物語を追うことによって、このアメリカの病理を描くことに成功しているのだ。

■小野寺系(k.onodera)
映画評論家。映画仙人を目指し、作品に合わせ様々な角度から深く映画を語る。やくざ映画上映館にひとり置き去りにされた幼少時代を持つ。Twitter映画批評サイト

■公開情報
『バリー・シール/アメリカをはめた男』
全国公開中
監督:ダグ・リーマン
出演:トム・クルーズ、ドーナル・グリーソン、サラ・ライトほか
配給:東宝東和
(c)Universal Pictures
公式サイト:http://barry-seal.jp/

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