R・スコットはS・キューブリックの意志を継ぐ 『エイリアン:コヴェナント』が描くAIの行方

 2001年の映画『A.I.』は、実はスタンリー・キューブリック監督が長年暖めてきた企画だったという。残念なことにキューブリックが死去したため、キューブリックの遺志によってスティーヴン・スピルバーグに引き継がれたという。アメリカ人であるスピルバーグは『A.I.』を愛の物語にしあげた。それがキューブリックにとって本意だったのか僕にはわからない。AIはコンピュータやインターネットに比較にならないほど影響力も高いのだから、まずは批評的な視点で検証しなければならないと思うが。『博士の異常な愛情』(1964年)で水爆の現実を壮絶なブラックユーモアで語ったキューブリックなら、甘くなるはずがない。どんな風にAIを切っただろう? 見てみたかった……。でも僕らにはリドリー・スコットがいる。

 不思議なことに、『A.I.』の主人公のアンドロイドもデヴィッドという名前なのだ。リドリーは、『A.I.』に対するサヤあてで話を作り始めたのではないだろうか? 『コヴェナント』のデヴィッドは、愛のカケラもないイヤミな存在。冒頭のシーンからどういうところで人間に従う動作をし、どういう気配で不穏な発想を打ち出すか?が示される。その前振りは全編に生かされていく。

 それから異星に漂着し、10年もの間、たった一人で気持ちの悪い「ネオモーフ」(創造されたエイリアン生物)を作り続けたデヴィッド。アンドロイドの孤独。人間なら極限的な精神状況を経て世捨て人となっているはず。しかしアンドロイドであるデヴィッドは不気味に前向きで淡々としている。進撃をけして止めることがない人工知性のマイペースさこそが『コヴェナント』の醍醐味だ。デヴィッドの醸し出す、ただ冷酷なだけではない、ウィットに富むクールさ。それがこの作品の際立つポイント。それは理屈ではなく「体感」するしかない。

 iPhoneのsiriの何とも言えない人なつこい応答に「オヤ?」と思った人は多いだろう。例えば「siri、うるさいんだよ」「お前はいらない」とか言ってみると面白い。なかなか練られた答えが返ってくる。人間臭いなあ!と驚いた人も多いはず。

 単なるプログラミングされた受け応えでもそうなのに、将来的に自律的に判断するメカニズムが与えられたら、どんな怪物に変化していくかわからない。

 キューブリックの意志を継いでいるリドリーの考察は、そうした人工知能なるものの行方について看破しているように思える。アンドロイドがもたらす事態の描写を精細に行う。

 ラストのブラックなエンディングもヤバい。これほど絶望的な次回予告もないだろう。どうやら人工知性とエイリアン、そして神々が組んずほぐれつと人類を追い詰める、そんな新作がやってきそうだ。

 もちろん『コヴェナント』のエイリアン映画としての気持ち悪さ度も、なかなかに凄い。新手として、ミクロ描写がある。黒い胞子として舞い上がり、気付かないうちに耳の中に侵入、皮膚の下に潜り込むネオモーフだ。その気色悪さは、シリーズ中の新機軸である。極小の世界で人間を侵すという視点は、昨今の遺伝子工学的世界感を体感させてくれる。やはり科学の先端だ。前作の火星入植映画『オデッセイ』のように。それでいながら「キモいのが好き!」「気色悪さが快感」というファンにも存分に体感で感銘を与えてくれる。深い文化性をたたえながら、B級映画のように下世話な恐怖を与えるところが、リドリーのエイリアンの魅力なのだ。

■サエキけんぞう
ミュージシャン・作詞家・プロデューサー。1958年7月28日、千葉県出身。千葉県市川市在住。1985年徳島大学歯学部卒。大学在学中に『ハルメンズの近代体操』(1980年)でミュージシャンとしてデビュー。1983年「パール兄弟」を結成し、『未来はパール』で再デビュー。沢田研二、小泉今日子、モーニング娘。など、多数のアーティストに提供しているほか、アニメ作品のテーマ曲も多く手がける。大衆音楽(ロック・ポップス)を中心とした現代カルチャー全般、特に映画、マンガ、ファッション、クラブ・カルチャーなどに詳しく、新聞、雑誌などのメディアを中心に執筆も手がける。

■公開情報
『エイリアン:コヴェナント』
全国公開中
監督:リドリー・スコット
出演:マイケル・ファスベンダー、キャサリン・ウォーターストン
配給:20世紀フォックス映画
(c)2017 Twentieth Century Fox Film Corporation. All Rights Reserved
公式サイト:http://www.foxmovies-jp.com/alien/

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